イラクでの人質騒動は呆気なく終わりました。マスコミの過熱した報道に比し、一般国民の反応はひどく醒めていました。また、被害者の家族や支援者の興奮ぶりと、解放された直後の当の被害者たちの落ち着きぶりとは、奇妙なコントラストでした。要するに、どこか間が抜けた事件だったのです。被害者に対しては、無事を祝福するよりは、無思慮な行為に対し厳しい責任を求めたいのが、僕の率直な気持ちです。
なぜなら、この事件を契機に、特定国ないし地域への一般人の渡航に国家的規制が強化されることが必至の勢いだからです。かねてから、強い国家権力による“秩序ある社会”を望んでいた人々にとって、今回の事件は絶好の口実となるでしょう。太平洋戦争というバカ高い国民的代償によって転がり込んできた“自由”も“民主”も槿花一朝の夢と消え去る事態が、ぐっと現実味を増してきた昨今ではありませんか。
例えば、“カラ出張”で公金を浮かしていた警官より、卒業式で国家斉唱を拒否した公立高校教員に重い処分が下され、保険料を納めていなかった女優を大金で国民年金のPRポスターに起用した役人の責任は不問のまま、保険料の未納者にはやがて強制的な手段が取られ、有名政治家の娘の離婚を報じた「週刊文春」が、たった一人の地裁裁判官の判断で、“検閲”まで受けた上発行停止の仮処分に処せられるといった…。
司法は究極の国家権力ですから、「週刊文春」事件は僕にとってとくにショックでした。一応高裁で逆転はしたものの、日ごろ散々親の七光りを受けている権力者の子女が、いざとなれば“純粋の私人”として法の過保護を受け、庶民は裁判官の勝手な判断で“知る権利”をいとも簡単に奪われる…。いつしか、国家の影は日ごとその濃さを増しつつあります。 |