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2012年6月27日

861 いよいよ佳境に入った学長特別講座

 わが事業構想大学院大学では僕と清成忠男君が、毎土曜午後 交互に各界成功者をゲストに迎えて学長特別講座を開いてい ますが、各講師が何れも超多忙な時間を割き快く応諾して下 さることは感激です。しかも、時間帯は2時40分から休憩をはさみ5時30分までの長時間。前半は講師講話と質疑応答、 後半は各講話に基づく僕たちの講義ということでしたが、各講師とも予定時間では終わらず、また休憩後は、院生からの 活発な質問が相次いで、僕たちの講義時間はほぼ皆無の状態。

 先々週は椎名武雄君。留学後日本IBM 社に入り、45 歳で社長になってしまうまでの武勇伝から、その前と後同社を今 日の外資系優良大企業に育て上げていく過程での、例えば通 産官僚との間の阿吽の呼吸とか、「Sell IBM in Japan, sell Japan in IBM」を旨とした本社幹部たちとの丁々発止まで、豪放磊落な回顧談は、正に名講談を聞く痛快な2 時間でした。

 先週土曜は、明るいグリーンのロングドレスに黒いレースのストールを羽織られたコシノジュンコさんが登壇。彼女が 次女である有名な“コシノ三姉妹”の母上小篠綾子さんは、ご存知のとおりNHK の人気朝ドラ『カーネーション』の主 人公。ジュンコさんは冒頭、教室の正面スクリーンに映された 『カーネーション』の幾つかのシーンを背景に母上と自らの 生い立ちのことから話はじめられるや遂に最後まで、稀有に 前向きだった母上の生き様と対比しつつ、ファッション・デ ザイナーとしての自らの華麗な人生を語られました。その間、当日同席された夫君・鈴木弘之氏の実に気の利いたコメント と共に、院生一同も僕も時を全く忘れて聞きほれた次第です。

 以上お二人の素晴らしい講話を聞いただけで、本学の掲げる“事業構想”が“学”になりえないことが、納得できます。

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2012年6月21日

860 小沢一郎氏を“大政治家”と呼ぶ人に問う

 先般関西出張の折、車内でのつれづれを慰めんと珍しく週 刊誌を買い、発車後おもむろにページをめくり始めたものの、 よくもまあこれほどつまらぬ事柄をほじくり出し拾い集めて 記事にしたものと30 分もたず投げ出した次第ですが、唯一僕の関心を引いたのは、小沢一郎氏の和子夫人が地元の主要 支援者に自筆で書き送った夫との“離縁”挨拶状の記事でした。

 同誌取材班の協力を得てジャーナリストの松田賢弥氏が執 筆したもので、同誌巻頭にはその書状の写真まで掲載されて おり、その後今日まで約十日間、小沢一郎氏側からの対抗的 措置は一切報ぜられていないところから、少なくとも夫人が その書状で書き送ったこと、つまり小沢氏の乱れた女性問題 で久しく愛情が冷めていた上に、今回の大震災で故郷を見捨 てた卑怯さなどでつくづく夫に愛想が尽きて離縁を決意し、子供たちと共に世田谷の家を出たことは、事実なのでしょう。

 (“大王製紙の馬鹿息子”のような事例が時に起こっても) 政治家以外の“職業”はほぼ例外なく、年季を積み、苦労してウデを磨き知識を蓄え、周囲から人柄を認められつつその 世界での格を高めていくのですが、政治家の中で最高位の国 会議員はプロゴルファーとして名を成した娘のキャディを務 めていたおじさんとか、民放の美人キャスターとして人気を 高めたおばさんが(当選者の数を増やすためには選挙資金を 惜しまぬ恥知らずの政党の後ろ盾で)突然当選するや赤バッ ジをつけ、( 政治家としては全くのど素人でも) さまざまな特 権を享受できる点、政治家を職業とは呼べないでしょう。つ まり小沢氏とは、そういう政治手法の才に長け、やたら子分を増やし、政党内の大派閥の親分として権力を高め、権力におもねる各界の有象無象におだてられた人物なのでは・・・?

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2012年6月15日

859 変る国際経済環境、変らない経営体質

 世界経済の“グローバル化”に伴い、わが国産業界各社で も遅まきながらそれに対応できる人材確保に真剣な努力を払 いはじめました。政・官・学・・・各界でもそれに呼応する対策 を積極的に講じ始めたことにより、今や「グローバル人材の 確保」こそは、わが国の最重要“国策”でもありましょう。

 こうした状況下で先般僕は、ごく親しいある外国人の友人 から「・・・(日本語、英語、中国語に堪能な)自分の甥が米国の (一流大学で工学系の分野でマスターを取得し)日本の企業 への就職に関心があるのだが・・・」という相談を受けました。 そこでその分野に直接的ないし間接的に関係ある名だたるメー カーで経営幹部の地位にある後輩の何人かにその青年のこと を話したところ、誰からも「是非、当社にご紹介願いたい」 という積極的反応を得て、誠に心強く感じ入った次第です。

 だが、彼らから紹介された各社の人事担当者と接触し、「在米の同君の今後の貴社との接触は?・・・」という僕の質問に対 する彼らの「新入社員の正規採用は、当社の規定にしたがい、 今年○月に東京本社で入社面接を受けていただき、採用決定 後は来年4 月の入社式後○ヶ月間の新入社員教育終了後、会社側の判断でそれぞれの職場に配置されます・・・」と役人顔負 けの慇懃な説明を聞きながら、まさにがっくりした次第です。

 日本の企業が“グローバル人材”と言うに足る人物を確保しようと本気に考えるなら、これまでの日本の大企業に一般 的だった規定とか慣行、いやそれらの根底にある「採用してやる」という僭越的考え方を根本的に反省し、丁度高度消費 社会における“お客さん”に対するように、先方にも十分な選択眼と選択権があり、採用後の満足感がなければ忽ち先方 から見捨てられるという謙虚な心構えが必要と感じた次第です。

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2012年5月30日

858 オークラの夜はふけて

 昨夜は堀義人君ご夫妻のお招きで、欧米風の豪華なチャリ ティー・ディナーにワイフ同伴で出席。主催は実に厳しい名 前の「Human Rights Watch」東京委員会でしたが、会場の ホテル・オークラのアスコットホールは500 人を超す“紳士 淑女”で溢れ、年長者ばかりか、僕を見かけた孫泰蔵君(正義君の弟)とか滝川クリステル嬢(僕の息子の友人)などたくさんの若い友人知人も次から次と挨拶にやってきてくれて 暫し歓談でき、宴の始めは予想外に楽しい時が過ぎました。

 しかし、宴の雰囲気を一変させたのは、チュニジアから招 かれた主賓シヘム・ベンセドリンさんのスピーチでした。チュ ニジアと言えば、警察の無慈悲な処置に抗議した一青年の焼 身自殺を契機に俄然国全体に広がっていった反政府運動が、 わずか十日間で23 年間にわたったベンアリ独裁政権を崩壊さ せるとともに、中近東諸国の民主化運動推進のきっかけとなっ た「ジャスミン革命」が今や世界周知の事実です。が、ベン アリ政権下でも、国民の人権を無視した政権のあらゆる無慈 悲な措置に果敢に抵抗しつづけた勇気あるチュニジア人もい たことは、何故かこれまでは広く知られていませんでした。

 ベンセドリンさんは、若き女性の身でありながら、ベンア リ時代長年にわたり投獄や暴行などありとあらゆる迫害を受 けながらも、一貫して毅然として“人権保護”を主張しつづ けてきた稀有に勇気ある人。小柄で美しく歳を重ねた感のた だよう彼女のつつましくかつ毅然としたスピーチは出席者一 同に深い感銘を与えましたが、彼女の話を聞きながら、戦前 の軍部独裁政権国家・日本を経験した僕の脳裏には、戦後“与 えられた民主主義”を明らかに劣化させた祖国が、今再び“右 翼的全体主義”に回帰していく悪夢がよぎりつづけました。

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2012年5月18日

857 鶏口となるも牛後となるなかれ

 明治以来今日まで、わが国の一流大学は既成権力を構成す る公的・私的な組織の幹部への登竜門に甘んじてきましたが、 敗戦後は、子供の初等教育の段階からその目標を「一流大学 進学」に置く愚かな親が急増した結果、高邁な志を抱く青年 は激減しました。心ならずも大学教授を職業とした僕が還暦 後次々に新しい大学の創設に深くかかわった後初代学長まで 引受けた最大の理由は、実はこの嘆かわしくかつ許しがたい わが国の矮小な教育事情に敢えて異議を唱えたかったからです。

 今年4 月開学した事業構想大学院大学もその典型例で、こ れは@入学定員30 名という世界最小規模で、Aキャンパスが (地下鉄「表参道」駅から徒歩1 分という)日本一交通至便な 場所にある、B(学術用語ではない)“事業”(project)と“構想” (design)を組み合わせた世界最初の大学院。@は、教育と くに高等教育には(大教室での講義より小部屋での学生との face to face のゼミの方が遥かに効果的という)大学教員と しての僕の長年の経験から、Aは、日本の大学のキャンパス の多くが、大都会の中で何故か魅力ない場所にあるという私 の長年の不満から、Bは、「国を問わず人間社会の進歩にとっ て基本的推進力であるはずの“事業”も“構想”も(今後と も学問の対象にはなりえないが、)是非高等教育の重要な対 象にはすべきだ」という私の信念から自然に生まれました。

 その発足までに相当な資金と時間と人手を必要とする人間 の営為を全て“事業”と呼べば、優れた事業はその種類を問 わず、その推進力となった人物の優れた“発想”と、それを “計画”にまで落とし込んで行けるだけの優れた“リーダーシッ プ”に他なりません。だからこそ僕は本学院生諸君に対し、「鶏 口となるも牛後となるなかれ」と檄をとばしつづけます。

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2012年5月8日

856 『悔しかったら、歳を取れ!』発刊

 「上記題名で『ゲーテビジネス新書』第一号として出版して ほしいと幻冬舎から要請を受けて困惑している」と僕が書い たのは丁度半年前(Rapport-836)でした。「冗談でしょう…」 と暫く断り続けた僕ですが、梃子でも動かぬ米澤多恵さん (『GOETHE』誌副編集長)の強い勧めと友情溢れる説得に 心動かされ、昨年末から今年初にかけ約一月半キーボードを 叩きつづけて書き上げた原稿が、ようやく発刊されました。

 この本の冒頭に記したように、会食歓談の席で僕が冗談に 発した一言に耳敏く反応された見城徹さん(幻冬舎創業社長) の“勘”に対して十分報いたというほどの自信はありません が、この書名を、僕が若い頃から(納得できないもろもろの “日本的因習”と対決する度に)専ら自身を励ますために発 した心中の叫びと解釈し、「わが反骨人生」という副題を付 けました。こう解釈した途端に言葉として実に滑らかに流れ 出した85 年の僕の人生回顧を、どうか“ご笑讀”ください。

 気障な表現ですが、僕は人生で今が一番安らかに生きてい ます。必然とされる日本の少子高齢化や経済的斜陽化や政治 的劣化…、可能性のある突発的戦争や放射能汚染や超大震災 …といったものはもちろん、遠からず自分に訪れる“死”を も含め、起こりうる全てのことを静かに受け入れうる心のゆ とりを感じつつ、仕事に遊びに充実した日々を送っています。

 かといって、“諸行無常”の境地には決して安住はせず、 近くは世界に冠たる「観光大学院大学」の創設、遠くは日本 再生の切り札「淡路共和国」の建設という二大事業の“構想”も 着々と進めています。「その歳で…?」と訝る方々に明るく お答えします。「生きている間に…などと考えれば、生きとし 生けるもの、老若を問わず何事もやる気は起きないはず…」と。

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2012年4月24日

855 非営利団体にこそ経営者が必要だ

 船井電機は、敗戦後の日本産業界に群生したいわゆる “venture”型企業群の中で、厳しい経済環境と企業間競争を 勝ち抜いて東証第一部に名を連ね、国内外でそのブランド名 を確立しつづけている少数の企業の一つであるのみか、創業 者が今も事実上現役である稀有な企業。創業者の名は船井哲 良、生年は1927 年、僕と同年で、ごく親しい友人の一人です。

 企業として船井電機が一般に高く評価されるのは、他社の 追随を許さぬ独自の(製品および市場)開発能力、(「トヨタ に直接学び、後にトヨタを感心させた」)最先端量産技術、(い たずらに“大”を追わない)堅実一路の経営方針などで、ど れもが一流経営者としての船井君の資質をよく反映するもの ですが、僕は「船井情報科学振興財団」(FFIT)の設立と その活動成果もまた、同君の面目躍如たるものだと信じます。

 今世紀の幕開けを期し自社の活動を支えた情報科学技術の 更なる発展を念願した船井君は、広く情報科学技術分野の研 究に従事する若手学者の研究、および同分野を志望する国内 外学生の高度勉学助成のための機関の設立を決意し、自ら保 有していた自社株100 万株と現金40 億円を基本財産として 寄付することによりFFITを財団法人として発足させました。

 僕も同君の要請で設立以来この法人の理事を務めています が、僕が関係する多くの非営利団体の中で、安定した財務内 容を保持しつつ、しかも変化しつづける経済社会環境に柔軟 に対応しながら本来の活動目的を積極的に推進してきた点で、 FFITほどの例を知りません。この十年理事長である船井 君の言動に接しながら僕は、古い友人だったドラッカーの「21 世紀にはNPO 法人の役割が大きくなるからこそ、NPO 法人 にはマネジメントが必要だ」という言葉を常に思い出します。

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2012年4月13日

854 社内取締役は単なる社内身分でいいのか

 大王製紙社元会長による(バカラ賭博の損失補てんのための)子会社からの巨額借入れ、オリンパス社首脳陣の“飛ばし”による(無謀な投資の失敗に起因する)巨額損失隠し、投資顧問会社AIJ社社長による厚生年金基金の巨額消失)…、昨年末以来、企業の最高責任者による(十分刑事事件になりそうな)不祥事が続々と発覚し、株式会社のガバナンスと経営者の責任が、改めて世間の関心事となっています。

 AIJ社を除く2社は東証一部上場会社であるため、東証そのものにも世間の批判が向けられているせいか、先般斉藤社長は証券市場の信頼回復のため、「コーポレート・ガバナンスの強化のための上場制度の見直し」を発表しました。しかしその内容は“独立役員”の管理監督権の強化を促すことにのみ重点が置かれてしまったことに、僕は首を傾げました。

 “独立役員”とは、東証が2009年末の発表した「上場制度整備の実行計画」の切り札で、「一般株主と利益相反が生ずる恐れのない社外取締役または社外監査役」と定義されています。つまり東証は、社内取締役ないし社内監査役は一般株主と利益相反が生ずる可能性が限りなく高いという事実を認めたわけです。そして、制度を改正し、翌年3月末までに“独立役員”一名以上を確保することを上場各社に求めました。

 「一名以上」としたのは、“独立役員”の条件を満たす適材確保が企業側で困難だという現実を配慮したからでしょうが、どんな逸材でも監査役には議決権がなく、取締役でも決議の場では所詮「多勢に無勢」のはず。結局、社内取締役の優位は不変です。「いやしくも上場会社の役員なら、“社内・独立”を問わず企業統治の専門家としての知識と責任感の保持者となる具体策を講ずることこそ東証の責務」と僕は強く主張します。

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2012年4月5日

853 成功の反対は「何も志さないこと」

 昨年春文部科学省に設置申請し、秋に正式認可を受けた事業構想大学院大学が、今週末いよいよ開学します。僕にとっては発想から開学に至るまで深くかかわった4つ目の大学となり、3回目の初代学長を引き受けることになります。

 @“事業”(project)も“構想”(design)も学問用語でないこと、A入学定員30名という“塾”のような大学であること、Bキャンパスは青山の表参道(地下鉄駅から徒歩1分)に立地していることから、「(日本はもとより世界でも)前例のない分野の研究と教育に重点を置く、最小規模の、そして最も便利な場所にある大学院」となることでしょう。

 今回入学する1回生諸君は年齢、来歴…は多種多様ですが、将来(ビジネス、地域活性化、イベント…と期する分野は違っても)一業を自らが中心となって推進しようという意欲満々の人物ばかりです。対する教員の年齢、来歴…も多種多様ですが、これまでの大学や大学院のように教員が学生や院生に「何かを教える…」といった立場ではなく、本学院生諸君がそれぞれに心に抱く“人生の志”の達成に対して知恵を絞って「直接・間接に協力する…」ことが教員の責務です。

 僕は幸い多くの創業型経営者の方々の知遇を得ることができましたが、その方々からは例外なく創業期の失敗談を楽しく伺うことができました。(自分では大した“志”を持たない)学校の先生たちの多くには「“成功”の反対は“失敗”」でしょうが、創業者にとっては“成功”と“失敗”は同じカテゴリーに属し、“成功”の反対は「何も志さないこと」だということを僕は学び取り、この半世紀間大学教授を続けながらも一貫して“大学改革”という“志”の達成に努力してきました。当年85歳、今僕はこの年齢に誇りと満足感を抱いています。

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2012年3月20日

852 吉本隆明氏の死を惜しみつつ…

 先週土曜の朝日新聞朝刊“声”欄冒頭に掲載された鈴木英夫氏(弁護士、48歳)の投書「君が代監視、生徒の声聞きたい」を読みながら、僕は前日の吉本隆明氏の死を心から惜しみました。僕と同世代の最有力のオピニオン・リーダーの中で、こういう問題で最も僕に納得のいく発言ができ、しかも説得力のある評論家として、同氏を評価してきたからです。

 この投書は、大阪府立和泉高校の卒業式での国歌斉唱の際、教員一人ひとりが実際に歌ったかどうかを、その口の動きで府の管理職がチェックし、かつその事実を知らされた橋下大阪市長が(服務規律を徹底したとして)賛辞を送ったことへの批判です。因みに、同高校校長は橋下氏の大学時代からの友人で2年前(橋下氏が大阪府知事時代)に同校校長に就任したとのこと…。鈴木氏は、新校長によって変化が予想される教育方針の“復古主義”への転換を懸念されたのです。

 吉本氏の難解な『共同幻想論』によれば、国家とは国民が心理的に共有する一体感。好むと好まざるとにかかわらず、戦前の日本は天皇制という“共同幻想”によって国民は強固に一体化されていました。だが戦後の日本では、天皇制は維持されたものの、“人間宣言”以降天皇制という共同幻想は時代の推移とともに明らかに薄らぎました。奇跡の高度経済成長の後に到来した先行き不明の経済的・社会的閉塞からの脱却には、今こそ再び強固な国民的結束が必要とされます。それ故にわかに勢いづいた「君が代」=天皇制重視の復古主義者に対し、“復古主義”への回帰は戦後民主化の終焉であると懸念する人々との間の思想の溝は今後ますます深まりそうです。僭越ながら各位がRapport先号をも再読され、この問題を真剣に考察して下さいますよう期待致します。

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2012年3月14日

851 ワイマール共和国の教訓

 先週4日には、ロシアの大統領選でプーチン氏が勝利し、5日には、北京で胡・温現政権最後の年となる全国人民大会が始まり、6日米国での“スーパーチューズデイ”は、共和党本命のロムニー氏が制して秋の大統領戦が緊迫の度を加えました。……何れも将来の世界情勢を左右しかねない出来事です。

 一方、わが国の政治情勢は、相変わらず愚かしいばかりの停滞ぶり。与党・民主党も最大野党・自民党も幹部のリーダーシップの欠落で今や政党の体をなさず、既存政党に失望した国民は必然的に若くて勢いのある政治指導者を待望し、結果として、(Rapport―848でも指摘しましたが)大阪維新の会代表・橋下徹氏の人気が尻上がりに高まる所以です。次の総選挙で「維新の会」支持票が激増し、やがて橋下内閣が成立すれば、氏の言動と維新の会の動きから、戦後日本に始めて本格的右翼政権成立の可能性は十分。そこで我々は今こそ歴史を顧みて、“民主主義”の脆弱さを学ぶ必要があります。

 ドイツでは一次大戦敗北後帝政が崩壊し、理想的な憲法のもと民選大統領を元首とするワイマール共和国が誕生しましたが、一方では多額な賠償金・インフレ・世界恐慌による経済の混乱、他方では少数政党の分立や大衆まで巻き込んだ左右両派政党の対立や国防軍勢力の台頭による政治的混乱により、やがて議会運営は停滞して国民の信を急速に失いました。

 その結果ヒトラー率いるナチスが議会を制し、短期間で合法的にドイツを“右翼全体主義国家”に変貌させました。ナチスが結党直後の選挙でわずか12票を確保してから急速に議席を増やし、遂にヒトラーが合法的に首相の座に就くまでわずか5年。要するに“民主主義”は意外に容易に“全体主義”に変身するのです。橋下徹氏の自重を切に望む所以です。

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2012年2月23日

850 今、政治は江戸時代から学ぼう!

 僕もそろそろ85歳になるので、公的な仕事をなるべく返上し、念願のエイジ・シューター達成にでも励みたいのですが、一つ一つの仕事はそれなりに結構面白くて、年甲斐もなくいろいろ引き受けています。以下はその典型的なケース…。

 先週金曜夜は東京會舘で「日本と東アジアの未来を考える委員会」の総会があり、折から冷たい小雨もぱらつきはじめていたため、顔だけ出して…と言う気分で出かけたのですが、場内の華やいだ雰囲気と友人・知人の多さで気分一変。それに、僕のテーブルには主催者の荒井奈良県知事が座っておられた上に、両隣の松岡正剛君と佐々木毅さんとの歓談に思わず時を忘れ、結局家に帰りついたのは、なんと22時近くでした。

 松岡君とは時々会って話しますが、佐々木さんと隣合わせになったのは初めてだったのに、わが国きっての政治学の泰斗を前に僕はいかにも僕らしく、「わが国の国会議員の質的低下の原因は、現行の国政選挙の前提となっている“小選挙区”にある」という前提で、概略以下のような意見を披瀝…。

 「現在の“小選挙区”は、都市圏では面積の割に人口が多すぎ、過疎地域では逆に人口の割に面積が広すぎて、共に、選挙民には立候補者の人柄や見識までは分からず、結局は何らかの分野でマスコミを通して名前の知られた人物や、(親分・子分といった旧来の人間関係で)既成政党の公認を受けた人物が赤バッジをつけ、永田町で幅を利かすことになる…」と。

 僕の意見に原則賛成された上で、佐々木さんは江戸時代の幕藩体制について言及されました。確かに、鎖国に徹しながら、あの華麗な文化を育み、世界でも稀有な270年にわたる平和を維持した江戸時代を、われわれは“政治”と言う観点から検討し直し、その成果を学び取る価値は十分ありましょう。

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2012年2月14日

849 断じて行えば雪神も…

 新年が明けて以降僕は「老人暇無し」という諺を創りたくなるほど忙しくなり、Rapportまで休筆しがちで、過日週刊誌上で孫君に「“忙”とは心を滅ぼすこと」などと先輩ぶって忠告したことさえ反省しています。仕事の幾つかを断ればよいのですが、この歳になっても好奇心が旺盛な上、お人よしで、かつ健康なため、ついつい過剰に仕事を引き受けてしまうのです。しかし、どの仕事も断るには惜しいものばかり…。

 例えば、先週土曜日、今年は古牧温泉・青森屋で開催された「第4回G1サミット」への出席。この会は“ダボス会議”(世界経済フォーラム年次会議)の日本版を目指して発足しただけに、毎冬僻遠の地に各界の錚々たる人士が(五日間まではいきませんが)三日間泊り込みで、様々な問題についてくつろいで討議を楽しむのが目的で開催されてきました。

 ゲストである僕は初日冒頭のパネル・ディスカッションで堀義人・岩瀬大輔両君とざっくばらんの議論を楽しめば、1時間半でその役割を果たし終るわけで、ワイフや秘書たちは当然首をかしげたのに、僕は頼まれた途端に興味が湧き、引き受けてしまいました。結果として、昼間は各界の錚々たる人士を前に忌憚なく私見を披瀝した上、活発な議論を交わし、夜は夜で地元のご馳走を食べ酒を酌み交わしながら友情を一段と深めた人たちと歓談に時を忘れ、会の最後には頼まれて即興の長スピーチまでして大喝采を浴びると、やはり「来て良かった…」という人生の喜びが心中に沸き起りました。

 天も我に味方してくれたのか、両日とも「青森県は猛吹雪」の予報にもかかわらず、どういうわけか、(僕が三沢空港に到着した)金曜朝と(同空港を出発した)土曜朝は、天候は奇跡的に晴れ。「断じて行えば雪神もこれを避く」(私記)

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2012年2月1日

848 ど素人の政局悲観―徒然なるままに

 「民主党がこれほどいい加減な政党だったとは・・・」というのが、今や日本国民大方の実感。「解散して民意を問え!」と自民党の先生方は気負い立っていますが、同党に対する失望と不満が09年の総選挙における民主党の圧勝をもたらしたことを忘れた国民はそう多くはいないので、次回の総選挙での同党の獲得議席数は、もし前回並みだったら万々歳でしょう。

 となると、次回の総選挙の結果は、議員獲得数では民主党激減・自民党横ばいで、新党および既成小党で過半数を確保しそうな勢いです。要するに、何となく90年代初期の政界混迷から誕生した細川内閣時代が想起されますが、国民新党に当たる新党が(現在の大阪維新の会が全国組織にまで発展して生まれた新党)「維新の会」ということになると、次回の総選挙の時期が近いほど、維新の会の獲得議席数は、恐らくかつての国民新党のそれを遥かに上回ることになるでしょう。

 ただし、どの党も衆院議員獲得数で過半数を確保できないことはほぼ確実ですから、必然的に連立政権が誕生しますが、かりに自民党の議員獲得数が他党を上回っても、自民党総裁が総理になることには、公明党を除く(?)全ての党が反対するはず。一方、急進中の維新の会から総理を出すことには、党議として反対するのは共産党と社民党くらいのもの…。

 結局、次期総理は、維新の会“総裁”ということになりますが、どんな形で選ばれようと、同党の根源は大阪維新の会ですから、大阪維新の会の発議者でありかつ現在代表をつとめる橋下徹氏が就任するのが一番自然、かつ確率も最も高いと思われます。いよいよ日本に橋下内閣誕生となると、これまでの彼の言動からして、その政権を民意で覆すことなどはほぼ不可能だと、われわれは覚悟すべきでしょう。 嗚呼!。

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2012年1月23日

847 文壇の権威は揺らぐか

 作家“田中慎弥”氏が一躍“時の人”になりました。17日行われた今年度「芥川賞」の選考委員会で、氏の『共喰い』が2012年度受賞作になったからではありません。受賞後の記者会見に現れた氏がいかにも不愉快な顔つきと緩んだ服装で、「4回も落とされたので、断るのが礼儀だが、…、断って、気の小さい選考委員、都知事が倒れて都政が混乱してはいけないので、…もらっといてやる…」と言ってのけたからです。

 僕はその様をTVで視聴し、心で快哉を叫びながらも、田中氏の今後を祈りました。幼くして父を失い、働く母の手一つの貧しい家庭で育った田中氏は、工業高校卒業後は一切就職することなく、39歳の今日まで専ら小説を書きつづけてきたとのこと。小学校時代から鋭い感性と文才を認められただけあって、氏の作品は「新潮新人賞」、「川端康成文学賞」、「三島由紀夫賞」…と賞を総なめにしてきましたが、並みの作家と違って、氏の魂の根底には、こうした賞が持つ“権威”への底知れない反感とか憎悪があるように、僕は感じました。

 大作家の名を冠して創られた“賞”、“賞”に秘められた出版社の商業主義、文壇で顔を利かす選考委員たち、授賞式に群がる記者たち、それを報ずるマスコミ各社…こうした事々や人々によって、“賞”は自然に“差し上げるもの”ではなく、“授与するもの”になってしまっているのです。この社会的現実を不当な権威主義と感ずる人々にとっては、それは我慢できぬことに違いありません。ところで、今回の田中氏のように勇気ある誰かがその“不条理”を天下に豪語しただけで、文壇の“権威”は果たして簡単に揺らぐものでしょうか?

 文学愛好家ではない僕の興味は、田中慎弥氏の次作よりも、氏の天衣無縫な言動に対する“日本文壇内部の反応”です。

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2012年1月11日

846 混迷の時代、わが“志”

 世界も日本も政治・経済・社会…とも波乱含みで、確かに誰にも前途の見通しのたたない状態の中で新年が幕明けした感があります。マスコミは相変わらずあらゆる危機に関する過剰な報道や解説で庶民の不安を煽っていますが、僕を含めて天下国家の動向には直接かかわりの無い人間は、こういうコマーシャリズムに影響されないことが、先ず肝要です。

 僕の生き様は昔から同じですから、今は、財政の破綻とか大地震といった、自分の判断で起こる可能性の少なからぬ国内事件に対しては必要かつ可能な個人的対応措置を講じた上で、それらが起こらない場合に僕の知恵と努力で成果が大きく左右されるプロジェクトの推進にのみ関心を集中させ、全力を投入し、相変わらず張り切った日々を過ごしております。

 当面の僕の最大関心事は、今年4月にいよいよ開学する事業構想大学院大学。僕にとっては4つ目の大学創設、三回目の創業学長になりますが、今回は@東京・青山・表参道の地下鉄駅から徒歩1分の地にキャンパス、A入学定員は年30人という“日本一の小規模”、B専攻分野は日本、いや世界でも初めての“事業構想”(project design)、という三つの特色を具備した点で、何としてでも沈滞気味の日本の大学界にさわやかな新風を吹き込みたいと、切に念願している次第です。

 “事業”も“構想”も学問用語ではありませんから、事業構想“学”を確立し、それを院生に伝授することが本学の目的ではありません。エジソンや松下幸之助に象徴されるように、卓越した事業の多くは学歴によって身についた専門知識ではなく、事業家の持つ卓越した発想とそれを実現にまで推進していくリーダーシップ。“塾”のようなこの大学から各界にユニークな人材を輩出するのが、僕の目下の“志”です。

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