2014年12月26日 |
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仕事柄産業界各社とは縁の深い身だが、今年を振り返ってとくに印象に残る企業と言えば、リクルートとHIS・・・と言うより両社の創業者江副浩正・澤田秀雄両君だ。僕は幸い年上の友人として、両君が無名の一青年から身を起こし,一代で個性的な一大企業を築き上げる過程で常に親しく接し続けてきた。
江副君が東京駅頭で倒れ、病院に移送されて帰らぬ人となってから早くも2年が経とうとしているが、同君の正に波乱万丈の人生を、親しかった人々の追想記で残そうという企画がこの秋に起こされ、僕も依頼されて一文を早々と事務局に送った。ほぼ同じ時期、かねてから証券界で話題となっていたリクルート社の再上場が実現したが、予想されたように市場の反応は上々で時価総額は2兆円に達した。創業者の同君は不遇な晩年を送ったが、彼の築いた事業は彼の名言「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」を正に戴した後進に受け継がれ、“かもめ”は再び颯爽と経済界の天空に舞い上がったのだ・・・。
さて、今や旅行業界では売上高トップとなったHISの歴史は1990年以降だが、創業者の澤田君が新宿で小さな旅行代理業を起こしたのはそれより10年も前のこと。その頃揺籃期のシリコンヴァレーの逞しいベンチャーに強く惹かれた僕は、関心を共にしていた通産省の若い友人たちの協力を得て、日本初のベンチャー経営者団体(社)ニュービジネス協議会を1985年に立ち上げ、初代理事長に就任した。それを契機に急速に増えた僕のベンチャー型経営者の友人の一人が澤田君。だから同君との交際もすでに三十年になるが、それが決定的となったのは、同君がハウステンボスの再建を引き受けて以来だ。同君がそれを決意して早くも5年。請われるままに以来顧問として協力してきた僕は、驚異的成功の過程で創業型経営者の凄さを始めて身近に体験させられ、同君への僕の敬愛の念も決定的となった。
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2014年12月15日 |
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最近のわが国の経営ジャーナリズムの中で、『日経ビジネス』 (2014.9.22)の特集『隠れ介護1300万人の激震』ほど日本産 業界各社の経営者や管理者に衝撃を与えた記事はないでしょう。 同誌はその見出しの冒頭にわざわざ“隠れ介護”とは同誌の造 語だと宣言し、その定義を述べた上で、実に14ページにわたって、隠れ介護人である会社員の知られざる苦労の実態と、その結果として近い将来確実に予想される“介護離職”の激増に対し(各社に)深刻な警告を発したのです。
「“昭和”が終わった頃の日本では、65歳以上の高齢者は全 人口中わずか12%、19歳以下の青少年は26%だったが、今か ら10年後にはそれぞれが30%と17%になる」という“少子高 齢化”の人口動態予測数値はすでに人口に膾炙されてきていた とは言え、その過程で起こるさまざまな“現実的”難問題につ いては、誰よりも現実主義者であるはずの企業経営者の多くで すら気づいてこなかったことは、僕にも驚きでした。
しかし、この深刻な社会問題の到来を早々と予知し、それに 対する現実的対処の仕方を過去十数年来世間に問い続けてきた 僕の若い友人がいます。その名は大澤尚宏君。“肉食系”の多い リクルート社出身者の中では異色の“草食系”で、同社退職後 は長く身体障害者のためのノーマライゼーション事業で実績を 挙げた後、約5年前に(株)オヤノコトネット社を立ち上げ、 東京国際フォーラムでの毎年の一大展示会の他各種出版やセミナー活動を通じて、迫りくる“老人介護社会”への賢明な具体的対処法を世に問い続けて来ています。
ただし、地味な先駆的事業だけに経営的には苦労の連続・・・。 そういう人物に心を動かされる僕は乞われるままに協力して来 ただけに、今回の『日経ビジネス』発の“隠れ介護の激震”が 大澤君の事業の心強い順風となることを祈ってやみません。
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2014年12月5日 |
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安倍首相による強引極まる衆院解散と年内衆院総選挙ですが、首相の思惑通り「・・・自民圧倒的優勢」との予想が各紙で一斉に報じられた昨日の朝刊の三面記事には、現今の日本の末期的世相をこよなく反映する二つの事件が報道されました。
一つは家庭内暴力で手に負えない28歳の三男を刺殺した父 親に懲役3年執行猶予5年の判決が下されたとの報道。この夏のその事件の報道は記憶にありませんが、高校時代から精神障害があったこの三男は、大学卒業はしたものの仕事が手につかず、挙句は家にこもって暴力を振るうため、家族が警察に相談 し病院への入院を懇願するも聞き入れられず、三男から「次は刃物を使うぞ・・・」と脅された父親は、ひざが悪くて逃げられぬ妻の身を思ったりして悩んだ挙句、ある夜就寝中の三男を刺殺した後朝まで添い寝し、翌朝警察に自ら届け出て逮捕されたとのこと・・・。同じく三人の息子を持つ父親として、僕は自らの息子たちと彼らを立派に育ててくれたわが妻に感謝しつつ、愛する息子を刺殺した後、冷たくなった息子の横で彼が幼く可愛かった頃の想い出を辿りつつ長い夜を泣き明かしたであろう被告の心中を察して、新聞を読みながら涙を流しました。
もう一つの事件は、東京世田谷でアダルトショップを経営する44歳の女性が、知人の42歳の女性漫画家が自らつくった自らの性器の3Dデータを店内に陳列して逮捕されたもの。小生不勉強にして、3Dデータのことも、また彼女がどうやってそれで自らの性器の作品を作製したのかも理解できませんが、40代とは言え、女性にはそれなりの羞恥心があると87歳の今日まで信じつづけてきた僕には、大きなショックでした。因みに、3Dデータとは言え、自らの性器を堂々と公開して見せた女性の名は“ろくでなし子”。「安倍総理、心配ご無用です。戦後日本は、これほど堂々たる女性を輩出したのですぞ・・・」。
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2014年11月14日 |
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「日本の、今眼前にある最も深刻な危機は?」と問われれば、日本人の大人なら誰でも様々な問題が頭に浮かび過ぎて、即答はできないでしょう。そこで僕が「人口問題だ!」と発言したとします。・・・すぐに賛同する人もいない代わりに。反対者がいるはずもありません。「それは“将来の問題”だ」と、誰もが思うから・・・。実はこれこそが、日本の最も深刻な危機です。
過去すでに数十年来、日本は“出生率の減少”と“高齢化に伴う要介護老人の増加”という極めて厄介な社会問題を抱えながら、各界指導者がその問題の深刻さを感じながらも、当面の問題の処理や対策に心奪われて、最大の難問題に対する適切な政策の実施をいたずらに先延ばしし続けてきました。このことが、近い将来の日本に悲劇的現実をもたらすことは必至です。
日本が初めて“国家”としての体をなした“大化の改新”の昔から今日まで、本土面積は実質的に変わりませんが、人口の急増期はわずか二回。第一期は、徳川幕府の成立時から江戸時代中期までの約一世紀半、第二期は、日本が近代国家となった明治維新から(太平洋戦争敗戦後の奇跡的な高度経済成長の後の驕りから)“第二の敗戦”という物心両面の停滞から脱せんと、官民で虚しい努力を続けてきた現在までの、これも一世紀半。
日本史上人口のピークは2004年末の12,784万人ですが、この時期には“少子化”が始まってすでに数十年が経過していて、要介護老人比率もすでに20%に達していました。有史以来の恵まれた消費生活+生ぬるい政策のおかげで、その後“要介護老人(含要支援老人)” 数は増加をつづけてすでに300万人を超え、10年後には500万人を超すことは確実視されています。この現実を前提に日本の将来を展望する時、人口問題は果たして、“将来の問題”だと考えつづけてもいいものでしょうか? |
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2014年11月5日 |
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上記三つの名詞は全て、わが国のマスコミが最近とみによく報道するホットな話題ですが、これらの共通点と言えば、我々にとっては、「ただただ傍観する他はない」ということです。
先ず、イスラム“国”とは言っても、最高指導者を名乗る人物が、(昨年来配下の戦士たちが強烈な武力を駆使して短期間に軍事的に制圧した)シリア北部からイラク東部へかけての地域を“領土”であるとして、昨年6月に“国家”としての独立宣言をしたのです。統治機構も法体系も未だ無いようですから、将来国連に加盟申請をするような“国”にはならないでしょう。が、単に地域住民からの略奪といったことより、制圧した地域から出る石油の精製出荷のみか、各種日用品の販売から金融機関の経営まで手掛けて財政には余裕があり、各国から集まった兵士にも相当な手当てを支給しているとの報には驚きました。
エボラ出血熱の感染者はアフリカ諸国ですでに1万数千人、死者もすでに5千人に近づいて、感染の勢いはやや鈍ったものの、今月に入りカナダや米国での感染者まで確認されて、両国はもとより(擬似感染者騒ぎのあったわが国を含む)先進国国民に衝撃を与えました。あの拡大写真の、見るからに不気味なウイルスが、世界的趨勢としてここ数十年間各国の人々に希望を与えてくれた“グローバリズム”に水を差した感が大です。
最後に、問題の“ドラッグ”とは、米国発の都市的商業形態である“ドラッグストア”で一般に扱っている大衆薬のことではなく、“麻薬”としては指定されていない“向精神剤”のことですが、ストレスで悩む人の多い先進各国の都会での需要増に対応して、効力の強い新薬がどんどん開発・生産・販売されて行くため、結果として発生する犯罪に対する規制措置が遅れてしまうのが各国共通の悩みのようです。ただ日本では今世紀に入り、規制外ドラッグ服用による重大犯罪が、とくに若者によって次々起こされる事件は、一体何を暗示するのでしょうか? |
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2014年10月18日 |
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今夜は相当な“トラキチ”である僕にとって、終生忘れられ ぬ夜となりました。…と書いても、大部分の読者には一体何の ことか多分お分かりにならないでしょう。トラとは、日本プロ 野球球団の“老舗”阪神タイガース、キチとは気違いじみたフ ァンのことですが、トラキチは一般人が阪神ファンに対して使 う蔑称ではなく、阪神ファンが自らの異常な心理に愛想を尽か して自嘲気味に口にする言葉です。因みに、セ・パ両リーグ12 球団を通じ、熱狂的ファンに対してこうした名称は唯一つです。
阪神は巨人と共に日本プロ野球界の名門で、その昔阪神が黄金時代を謳歌した頃野球少年だった僕は、関西とは何の関係も無いのに、トラキチになってしまったのです。ところで、この約20年間の阪神は、打撃が好調で圧倒的に有利に進めていた試合を守備の乱れからひっくり返されたり(=半身不随)、勝つか負けるかの接戦の最後の最後で相手に押し切られたり(=半信半疑)する試合が何故か実に多く、トラキチが毎年どうしても愚痴っぽくなる日々を過ごす“ダメトラ”に転落した次第。
尊敬する典型的“明治の男”だった父から子供時代に陰口と 愚痴を厳しく戒められて育った僕は、かつて僕に劣らぬトラキチでしかも阪神球団役員にも顔の聞いた高坂正堯君(故人・当 時京都大学教授)と共に、縁起の悪い球団名の変更に努力を傾 けたことさえありますが、結局は空振りに終ってしまいました。
さて、今年も出だしだけは好調だったタイガースでしたが、セ・パ交流試合で挫折するや毎年通り2〜3位をふらふらしなが ら、最後は広島を振り切って何とかクライマックス戦で宿敵巨人とリーグ優勝を争うことになったわけですが、何たる奇跡か、 今年は公式戦では11勝13敗だった巨人に対して3連勝の後、今夜も何と8−4という大差をつけて圧勝し、遂に日本シリー ズでの優勝決戦への出場権を獲得した次第です。嗚呼・・・。
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2014年9月26日 |
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今朝、朝刊各紙は一斉に日本が生んだ国際的経済学者・宇沢 弘文君の死を報じました。逝去されたのは今月18日とのことですから、恐らくご家族が親族を含めごく限られた方々のみに内々にお知らせになった訃報が、一週間後ようやくマスコミを通じ広く世間に報じられたわけです。この記事を読んで、僕の頭にはすぐ、数年前同君から僕のオフィスに届いた(いかにも宇沢君らしい)奇妙な文面の手紙のことが浮かびました。
余りに奇妙で捨てがたくどこかに保存したのですが、今探し てみましたが見つからないため記憶を辿ると、概略は「…自分 は今や年老いて身体のどこもかもがおかしくなり、遠からず他 界するだろうが、どなたにもお知らせしないので、あしからず …」と言う内容の一文が、実に軽妙に書かれていたのです。その約一年後、突然宇沢君が僕の赤坂オフィスへ、「ちょっと、相談があってね…」と現れたではありませんか…。しかも、結局は約1時間雑談を交わすや、彼は飄然と立ち去ったのです。
自著『自動車の社会的費用』(岩波文庫、1974年)が出版された直後、その本での自論に縛られた同君は、僕たちと新宿で飲み終電に乗り遅れた時も,自らの主張に従い、勧めてもタクシーには絶対乗りませんでした。…そんな頃のある日僕がマイカーを運転して三宅坂を日比谷方面へ走り下っていた時、左手の歩道を、短パン半そでシャツを着た(どう見ても)年老いたホームレスが背中に小型リュックサックという奇妙な姿で走っていました。追い越しざまに目をやると、何とそれはまぎれもなく、宇沢君だったのです。…さすがの僕も声をかけることを躊躇しました。背負った小型リュックからして、ただ皇居一周のジョギングを楽しんでいた宇沢君ではなかったはず…。
古今東西を問わず、“天才”と呼ばれた人には奇行が伝えられますが、その点、宇沢君こそ正に天才と呼ぶべき人物でした。
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2014年9月12日 |
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Rapportを転載している一般雑誌の一つ『仙台経済界』の伊 藤社長は、僕が県立宮城大学長時代からの友人ですが、先週末 同君からファクスで、『ドクター桜井の日本診断〜864号』が送られてきました。ドクター桜井とは、医師で仙台ご出身の参議院議員・桜井充氏。送られてきたのは、同氏のメルマガ864号(8月28日号)、題して『子供は誰が育てるべきなのか』。
同氏は医師出身の政治家として、これからの日本社会におけ る“子育て”にとって欠かせない保育所の実態を知るために、 宮城県内の保育所を対象にアンケート調査を実施したとのことですが、その集計結果につき桜井氏はこう述べておられます。 「…正直に言って、保育所内での問題や保育士の処遇の改善な どの意見が多いと思っていた。しかし、自分たちのことよりも、 子供たちのことを本当に心配しており、現場の子育てに対する 苦悩が伝わってきた。安倍政権では、女性の社会進出をうたっ ている。社会進出そのものを(私は)否定しないが、子供に対 する考え方は全く見えてこない。保育所の意見の中には、子育 てをしたくないから、働いている親もいるという極めて厳しい 意見もあった。…(下線は筆者)」と。
僕はRapport−919(今年6月22日号)『安倍さん、いかが ?』で、「…安倍さんは経済的に恵まれた家庭で育った上に、結婚後も子宝に恵まれなかったことから、“家庭”というものが果たす地味ながら重要な社会的役割に関してほとんど無知であられる…」と書き、(今では、僕から見て申し分なく成人した4人の子供たちの幼〜少年・少女期を通しての我が家を回想しつつ)家庭での母親の役割の決定的重要さを強調しましたから、桜井氏の見解は、正に「我が意を得たり」の感があります。 |
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2014年9月6日 |
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僕は青年だった戦時中から今まで(自宅に配られてくる)朝 日新聞の読者です。戦時中は(当然のことながら、他の新聞に 劣らず)何かにつけて軍国主義を鼓吹していた同紙が、戦後に は(これも当然のことながら、一斉に民主主義礼賛に主張を変 えた)各紙よりも明らかにその先を行って、いわゆる“左傾化” し、時には「赤い赤い朝日」とまで皮肉られるようになりまし たが、そのことを十分に感じ(時には、首をかしげ)ながらも、 僕はその後今日まで日々、朝日新聞を読み続けてきました。
だからと言って、僕は朝日の論調にいささかも影響されたと は思っていません。むしろ、朝日の論調が戦後一転し、やがて 急激に“左傾化”して行くと感じた時代には、朝日の論調は僕 には返って、自分が是とする思想や生き様を確立するために役 立ったとさえ感じています。ところが、最近、朝日新聞社が立 て続けに起こした2つの事件は、さすがの僕にさえ「読者であ ることをやめようか…」と首を傾けさせられた愚挙です。
その一つは、(公然と朝日の論調を批判する) 週刊誌の広告 の差し止め。今一つは、池上彰氏が同紙に連載中の記事の一つ に関しての(過去の自社の掲載記事の批判であるための) 掲載拒否ですが、厳しい世論の批判を浴びるや、早々と撤回という屈辱を選ばざるを得ませんでした。結局は一商業紙に過ぎない朝日新聞ですから、購読者の減少は経営を直撃すると判断した最高幹部たちが複雑な気持ちを抱いて鳩首協議した結果だったに違いありませんが、少なくとも僕は、前記2件で同紙=同社が今後受けることになる経済的・社会的打撃は、同社幹部一同の予想を遥かに上回るものと確信しています。
古人曰く、「…よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし…」と。何たる名文句! |
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2014年8月30日 |
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日本の国土面積約38万平方kmは、地目別には23種に分類さ れていますが、圧倒的に大きいのは“山林”で66.4%、二位の田 ・畑=農用地12.5%を断然ひき離しています。都市住民の住む (民有)“宅地”は全国土のわずか4.5%。しかも“宅地”とは“ 住宅地”ではなく、不動産登記法で「(工場も商業ビルも含め学校 を除く)建物の敷地及びその維持若しくは効用を果たすために必要な土地」ですから、明治、大正、戦前・昭和、戦後・昭和、平成と人口が増加しつづけ、しかも生活の“都市化”が進むにつれ、多くの日本人が、人口稠密な社会生活を強いられるようになったのです。
その上、太平洋戦争敗北後、政府はGHQの“対日民主化政策” の方針に沿い、大々的な農地改革を実施した後、農地法を制定して、 零細な小作農を過剰なまでに保護する米作中心の日本農業体制を構築しました。1952年に制定された“農地法”は、正にこの体制の維持を目的としたと言うべきもので、敗戦後暫くの期間、主食の国内自給には貢献しましたが、日本の高度成長が始まるとともに、米を中心とする異常に高い関税率による対外農業政策は海外からの批判の的となると共に、日本農業の国際化を阻む最大の要因となり、わが国は“貿易自由化”の世界的潮流から取り残されました。
さて、JA(全国農業協同組合)幹部と農林(水産)省幹部と主要各政党の農(水)族議員の“鉄の結束”により、国内外の環境変化と様々な圧力に耐え抜いて生き続けてきた“農地法”に、思いがけず天誅のごとく下されたのが、今夏西日本から北日本に繰り返し襲いかかってきた台風と集中豪雨。それは、足慣らしのように九州、四国、近畿、西東北各地に相当な災害をもたらした後、先週は広島市北部の山裾で、わが国未曾有の土石流災害を引き起こしたのです。
われわれはこの災害を、長らく多くの日本人に不当に不利益を与 え続けてきた反時代的な農地法の罪を問う“天啓”と受け止め、可 及的速やかに抜本的改革に踏み切るべきでしょう。 |
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2014年8月25日 |
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過去一週間新聞各紙は、広島市北部住宅地での土石流被害状 況を報じつづけています。今年のわが国の天候不順が昨年来の 地球規模の異常気象の影響だとすると、今回広島で発生したよ うな大土石流は、これからも日本各地で起こる可能性は十分あ るでしょう。…われわれ日本人は今こそ、土石流災害に対して も、単に個別的な災害処理方策の改善のみか、もっと根本的な 問題解決に目覚めるべきです。そのための絶好のヒントは、過 去の大小の土石流被害住宅地現場の生々しい写真…。
その共通点は、被害住宅群のすぐ背後に山林が迫っているこ と・・・。恐らく昔からそこに住宅群があったはずはありません。 戦後の日本では、経済成長に比例して全国的に“都市化”が進 み、それに並行して住宅事情が厳しくなるにつれて住宅地の地 価は高騰しつづけて行きました。いきおい、各地の大小の不動 産会社は、既成の市街地ないし住宅地との関係で好立地な山林 の裾の部分を、地目変更の許可を取った後に住宅地として総合 開発し、適当に区割りして販売してきたに違いありません。
「そんな山裾でなく、市街地に隣接している農地で、耕作放 棄地だって幾らもあるのに…」と思う方は、多いでしょう。と ころが実はわが国では、戦後制定された法律=農地法によって、 たとえ耕作放棄地でも、地目“農地”と指定された土地を“宅 地”(注:法律的には、住宅地の意味ではなく、各種建物の建 造を許可される土地)に変更することは、極めて困難なのです。
「それなら、農地法を改正すれば…」とは誰でも考えますが、 日本の政治や行政の実態に詳しい人は、それを一笑に付すはず。 農地法改正に関しては各界で昔から議論がつづき、一部改正さ え行われましたが、日本的“農本主義”の牙城は、今のところ 健在。ですから僕の願いは、今後も日本を次々に襲う土石流こ そが、やがて農地法の抜本的改革を促すと、信じています。 |
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2014年8月15日 |
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今日、“終戦記念日”。僕はその“終戦”という表現が大嫌 いです。太平洋戦争で米英両国に対して宣戦を布告し、奇襲 で緒戦の大勝利をしたのはわが国でしたが、間もなくや敗色 は濃厚になり、3年後からは相次ぐ空襲により、本土の生産 設備のみか主要都市まで徹底的に破壊しつくされた後に、や っと無条件降伏を申し出たのもわが国でしたから、どう考え ても、あの戦争の結末を表現する言葉は“敗戦”なのです。
開戦時14歳だった僕は良く記憶していますが、あの戦争 は決して国民の総意ではなく、決起にはやる軍部指導者とそ れに同調した政治指導者の状況判断に基づき、天皇の名で宣 戦布告がなされました。結局「刀つき矢折れて」の無条件降 伏で、敗戦の宣言も“終戦”の詔勅でした。戦後戦勝国は東 京裁判で戦争犯罪人を裁きましたが、なぜ日本人は、あの戦 争責任者を独自に徹底的に追及しなかったのでしょうか…?
もし戦後、日本人による戦争犯罪裁判が行われていたら、 東京裁判の“A級被告人”たちは、果たして「全員無罪」の 判決を受けられたでしょうか? もし有罪判決を受けたとし ても、後に靖国神社は彼らを合祀したでしょうか?…何故か、 あの合祀以降、天皇陛下の靖国参拝は行われていません。
ところで僕は、戦時中から靖国神社に参拝しません。それ は、幼い頃から軍人と言うものに直に接したことのなかった 僕が、中学に入って始めて配属将校として接した退役中尉の 人品骨柄に呆れ果てたからです。「あんな軍人が、海外に出 征したら、現地人に対してどんなに横暴な振る舞いをするの か…」と反感が募ると、「…あんな奴でも、流れ弾に当たっ て戦死すれば、靖国神社に祭られているかも…」と思い、以 来僕は今日まで、そこにお参りする気が全く起こってこない のです。謹んで、“本来”の英霊の冥福を心から祈りつつ…。
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2014年8月9日 |
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“名探偵”と言われて連想するのは、日本の若い世代なら “コナン”、僕たちのような戦前派の生き残りなら“明智小 五郎”ですが、恐らく世界的に名が通っているのは何と言っ ても、名探偵の元祖とも言うべきオーギュスト・デュパンか シャーロック・ホームズでしょう。…長らく探偵小説から遠 ざかっていた僕の手元に贈られた新刊書『名探偵ホームズと ドイル』(海竜社刊)、著者はわが友・河村幹夫君。
大学卒業とともに三菱商事に入社した同君は、中堅社員と してロンドンに在任中、かねてからの知的関心を満たすべく、 ロンドン・シャーロック・ホームズ協会の一員になると共に、 本業の傍らホームズとドイルに関する徹底的な研究を着々と 進めました。その成果は帰国後ホームズとドイルに関する数 々の著書・論文・エッセイとして発表され、同君は一躍文壇 でも名を成しました。そうした稀有な生き様に魅せられた僕 は、(三菱在職中から同君に)「退職後は是非…」と懇請し、 (僕が初代学長として建学した)多摩大学に迎えたのです。
嵐で始まった“お盆の休日”の時間を割き、僕は同書を興 奮さえ感じながら読み終えました。読後、一番印象に残った のは、ホームズとワトソンの友情…。貧しい家庭に生まれ、 大学卒業後医師としての単調な日々のつれづれにドイルが世 に問うた小説の主人公が、その後次々と難事件を解決してい けたのは、若くしてロンドンで知り合い、意気投合し、下宿 まで共にして相協力し合った親友ワトソンあってのこと…。
本書を読みつつ僕の頭には、松下幸之助×高橋荒太郎、本 田宗一郎×藤沢武夫…と言った日本産業界の古典的成功例が 思い浮かびました。糸川英夫さんが唱えた“ペア・システム” とは、時代も国も職種も超えた“成功の鉄則”なのでしょう。 |
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2014年7月31日 |
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ここ数日間新聞各紙はまた、想像を絶する殺人事件のことを 報じています。佐世保で起きた女子高生の同級生殺しです。現 場は加害者の“独り暮らしの”アパートの室内、被害者は仲よ しの同級生で、事件直前二人で近くの店で買い物をしていたこ とまで確認されています。つまり、犯人が前から被害者に恨み を抱いていたわけでも、何かの拍子にかっとなったわけでもな く、警察官にも「…人を殺してみたかった」と落ち着いて語る 一方、被害者の身体は切り刻まれていたとのことです。
ところで、犯人の部屋の所有者は父親。彼女が大好きだった 母親が病死するや、その喪が明けやらぬ中に父親は別の女性と 再婚し、15歳の娘=犯人は父親が所有するアパートの一室で 独り暮らしを迫られることになった訳ですから、父親には親権 者としての責任が当然あります。一方、つい先頃倉敷で起きた 小学5年の女子誘拐監禁事件の犯人も、離婚の後は長く独り暮 らしの哀れな男性で、報道によると、「理想の妻は自分で育て る(?)他はない」と、大金を投じて自宅を完全な防音状態に した上で、好みの少女誘拐計画を実行に移したとのことです。
上記の二例の犯罪は、犯人が共に“変態”であったというこ とよりは、“家庭の幸せ”を喪失したことにその根本原因があ ると、僕は確信します。家庭とは当然、夫婦と(出来れば、複 数の)子供によってつくられ、少なくとも子供が中学を卒業す る頃までは、家へ帰った時、親(出来れば母親)の「お帰り…」 という声で心の安らぎを感じ、夕食は(出来るだけ)親子団欒 の場であってほしいと、僕は念願します。その意味で僕は、子 供のいない安倍首相の“女性活用”論に納得できないのです。
「どんな国もどんな時代も、健全な家庭こそ健全な社会の基盤」 と信じる僕は、政治家はもちろん日本の各界指導者は、家庭の 問題を最重要な国家的課題としてもっと真剣に検討すべきです。
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2014年7月23日 |
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『中公』・『文春』が同時に取り上げた“日本の大学”論に 関連して、僕は日本の大学が“知”の最先端部門で世界をリ ードするためには、「現行の日本の大学制度を前提とする限 り当分は無理だ…」と先号で悲観的な意見を述べましたが、 実は、狭義の“知”である“学術”以外の分野でならば、日 本の大学でも、やり方次第では世界をリードするチャンスは あると僕は信じています。心強い実例を一つ挙げましょう。
上記の『中公』誌上で、漫画家の竹宮惠子さん(京都精華 大学学長)の「マンガ学を究めて大学の明日を描く」という 一文を拝読し感銘を受けました。同大学は岡本清一氏(硬骨 漢の自由主義者として名を成した元同志社大学教授)を初代 学長として開学しただけに様々な“自由自治”の学風で知ら れ、学長さえ教職員全員の選挙によって選出されるとのこと。 恐らく世界各国の主要大学にも「マンガ学部(マンガ学科、 アニメーション学科)」を設置した先例は無いはずです。
古くかつ独特の進化を遂げて来たわが国の“漫画”は、近 年国内では愛好者の急速な広がり、海外では(アニメーショ ンの急速な普及に伴う)予想外の人気上昇に伴い、今や事実 上“サブカルチャー”の範疇から抜け出したと言えるはずで す。しかし、他国に比し日本ではとくに保守的気風の強い大 学界で京都精華大が率先“マンガ学部”を設置し、大学中退 ながら漫画家として高い実績を挙げた竹宮氏を教授に迎え入 れ、同氏が8年後学部長,13年後学長に選出されたという事 実は、正に日本の大学史上特筆大書すべき記録的出来事です。
日本の“学術”とくに“文系”のそれは、実は“言語の壁” で国内での権威を保ってきました。芸術やスポーツと共にマン ガやアニメなら“学術”より先に世界の水準を抜きそうです。 |
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2014年7月15日 |
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『文藝春秋』と『中央公論』両誌の最新号は共に“大学問 題”を取り上げています。前者は『生き残る大学教授』と題 する40ページの“特集”で、濱田東大総長の談話6ページ (『…求む、闘う教授たち』)が冒頭を飾り、後者は苅谷剛彦 オックスフォード大学教授(元東大教授)の檄文(『日本の 大学が世界の落ちこぼれになる』)ですが、共に文系学者で、 表題が端的に示すように、危機感が全編を覆っています。
しかし大学進学直前、敗戦による「航空学科」の廃止によ り転科を余儀なくされ、文系で予想外に低レベルの大学教育 を経験した上に、卒業後は思いがけず大学教員として半世紀 を生きた僕には、両氏の見解は十二分に理解はできても、と うてい共鳴はできません。両氏には、「学生時代に受けた教 育および、日本の大学で“一教員”として過ごされた日々に 満足されたか?」と、率直なご意見を伺いたいものです。
“先進国”はもとより近年は開発途上国でも教育水準は高 まり、大学や大学院が自然に増加して最高の教育機関として の役割を果たしています。教育内容や水準は国によって差が あるとはいえ、いわゆる“文系”に関するかぎり、かつては 世間から“レジャーランド”、今は“就活”の場と嗤われる 日本の大学には、体質改善の可能性はあるでしょうか?
前記『中央公論』所収の『大学教授の下流化』(竹内洋氏)、 『優雅?悲惨?大学教授の生活ぶっちゃけ話』(櫻田大造氏)、 『役立たずの研究者が堂々と大学に残れるワケ』(現役大学 教授の覆面座談会)を読むかぎり、日本の文系大学教育の現 状は、今も変わり映えは無いようで、実に情けない限りです。
日本で濱田・苅田両氏の夢を実現するには、現行の日本の 大学とは全く一線を画する超弩級の研究・教育機関を設立し 運営する必要がありますが、果たしてその実現可能性は?… |
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2014年7月7日(盧溝橋事件記念日) |
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閣議決定による集団的自衛権の行使容認後、反対派市民に よる街頭運動は影を潜めましたが、マスコミやネット上での 反対派知識人の発言は活発につづいています。この方々への 官憲の表立った圧力がないことは、一青年として太平洋戦争 に至る時期を日本で生きた僕にとっては、少なくとも当面は 何よりの安心材料です。安倍首相には、今後とも上記案件で 警視庁公安課や公安調査庁といった機関に“反体制派”知識 人をマークさせたりは、絶対なさらぬよう切に望みます。
今の日本で、“言論の自由”が未だほぼ完全に保たれてい ることの他に、僕にとってのもう一つの驚きは、今回の閣議 決定に関して、(陸・海・空を通じて)自衛隊幹部も隊員も (僕の知る限り)沈黙を守っていることです。マスコミから の取材に対して厳しい“緘口令”が下されていたという報道 もありませんでしたから、全員が事態を極めて冷静に受け止 め、有事の際には粛々と本務を全うする心構えで訓練を続け いるとすれば、安倍首相の責任は一層重いと言うべきです。
しかも、今回の集団的自衛権の行使容認に関して、元防衛 庁の制服組幹部ないし元自衛隊幹部の発言を、有事の際には 最高指揮監督権を持つ安倍首相よりは対照的に極めて冷静と 感じたのは、果たして僕だけだったでしょうか…。自衛隊側 の冷静さの裏側には、この分野の専門家集団の指導者たちに は、素人集団である首相周辺とは違った“決定的事態”に対 する確固たる見通しがあるとも考えられましょう。
日本史上未曾有の悲劇“太平洋戦争敗戦”の責任者は、勝 者であった連合国により戦後東京裁判で断罪されましたが、 日本人は何故独自にこの戦争の責任者を徹底的に追及・断罪 しなかったか?
今こそ、このことを冷静に反省すべきです。 |
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