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2012年12月25日

878 徒に天下を案ずるより、自らの未来を拓こう!

 いよいよ今年最後のR a p p o r t となりました。この一文 を新年に読まれる方々を含め、来年が諸兄姉にとってこ よなき年であることを、早々と心よりお祈りいたします。  さて、年が明けると、多分新年の新聞や雑誌に各界名士 による一年の展望が続々掲載されることでしょうが、へそ曲 がりの僕は昔から、いくら求められても将来展望などは一切 断ることにしてきました。奇異な自然現象や社会現象の大部 分は、人間がつくった暦と関係なく起こるわけですから、年 が改まったからと言って急にそうした現象の生起が予見され るわけでもなければ、今年拡がったさまざまな現象が年明け と共に急に違った様相を呈し始めるわけでもないからです。

 つまり、今年末のつづきとして年が明けるわけですから、 来年年初の時点における世界ならびに日本の状況が来年 中にどう展開していくかをいくら論じてみても、人智を超える 大事件が年内に起これば、年初の展望など何の意味も無く なることは、われわれがこれまで毎年経験してきたことです。

 確かに現代はどこの国でも、あらゆる分野に専門家がたく さんおり、景気にせよ地震にせよ、素人よりは高い知見を具 備しているように思えますが、不思議なことに、予測予見と なると一流専門家の間でも意見は大きく分かれるわけですか ら、結局その道の専門家すら実は“その道”に関しても、将 来展望能力は殆ど具備していないと諦めた方がよさそうです。

 考えてみれば、自然・社会全事象に亘る専門家など生ま れえないからこそ専門家という職業が成り立つわけで、彼ら の将来展望などに一喜一憂するより、「各自の人生目標の 達成を改めて己に誓いつつ、静かにその実現策に思いをめ ぐらす」ことこそ、最も優れた正月休みの過ごし方でしょう。

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2012年12月12日

877 衆院選挙、今や笛吹けど民踊らず

 今週末はいよいよ衆院総選挙。 選挙戦に関しマスコミの ヴォルテッジだけは異常に高まっていますが、少なくとも僕 の周辺の人々の選挙に対する関心は総じて低く感じられます。 要するに、その結果でわが国の現状が改善されるだろうと 思う人々がほとんどいないからでしょう。ただ僕は、結果 次第では(政治の急速な右傾化によって)わが国の“民主 主義”が終末期を迎えるかもしれないというほどの危機感 を抱いてはいますが、だからと言って、「僕の一票でどうに かなる…」とは思えず、やはり選挙への関心は高まりません。

 現行の議会制“民主主義”を是とする限り、衆院“選挙” は国民の意思や願望を国の政治に反映させる唯一の方法です。 しかし、国家の最高権力者として政治万般を司ることになる 国会議員が“立候補”制であることは、(経済水準が相当 程度に達した国家においては)政治が“衆愚”に導かれざる を得ないという点で決定的に問題があります。この場合の “衆愚政治”とは、選挙民が“愚”であることより、被選挙 者である“立候補者”の大半が“愚”であることによって 必然的にもたらされる実に悲しい現実だと、僕は考えます。

 民主国家でも経済水準が低い間は、国会議員は相当に魅力 のある職業なので、それなりの人物が競い合いますが、経済 水準の高まりにつれ魅力のある職業が多彩化すると、選挙活 動のぶざまさと(落選したら失業という)将来の不安定さの ために、まともな職業で満足している人は敢えて政治家の道 を選ばなくなるのは致し方ありません。この結果、国民の資 質の向上に反比例して、政治家の質は劣化しつづけるのです。 ごく小さい自治体を除いては、公選で政治的最高権力者を選 ぶ“民主”の現実的効用が限りなく低下するのは定理です。

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2012年12月7日

876 高速道路を走るには、それなりの覚悟が…

 先週中央高速道の笹子トンネル内で起こった天井板の崩 落事故は、過去60 年近く車の運転を日常化してきた僕にとっ て、これまで起こった自動車関連事故のニュースの中で最も 衝撃的でした。思い返せば、戦後1950 年代まで、日本の交 通網は自動車中心につくられていませんでしたから、道路の 狭さとか傷みとか人通りに注意を払いつつ運転さえすれば、 先ず大した事故は起こりようも無かったのです。

 結婚直後の60 〜 62 年まで僕は初めて米国生活を経験しま したが、国際ライセンスのおかげで着任した日に中古の米国 車を買い求め、週日は自宅と大学との往復、休日は専らワイ フと近郊のドライブなどで“アメリカン・ライフ”を存分に 堪能しました。申しあげるまでもありませんが、米国の都市 (および周辺)の地上交通網は当時すでに完全に自動車中心 につくられており、都市間の高速道路網(superhighway system)の整備も、全米で急速な勢いで進行中だったのです。

 帰国した日本は高度成長の助走期で、大都市内および周辺 の道路の整備および大都市間を結ぶ道路の建設は全て自動 車の走行に重点を置いて進められていましたが、実は僕は期 待よりは大きな懸念を抱いたものです。何しろ日本の地勢は 米国と対照的に山岳・丘陵地が大半で、狭小な平地の上に過 剰過ぎる人々が生きて独特の歴史を刻み、独特の文化を形成 してきた国。要するに日本は、自動車文化を享受するのに最 も不利な条件を完備した国だと、僕は感じたからです。

 僕の悪い予感は的中しました。東京や大阪都心部の高速道 路はもちろん、主要都市を結ぶ高速道路も本来無理を承知で 建設された以上、想定外の大事故は今後も不可避のはず。日 本で高速道路を走るには、それなりの覚悟が必要なようです。

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2012年11月23日

875 優れたリーダー無き国は烏合の衆

 米国ではオバマ大統領が再選されたとはいえ、“財政の崖” の存在感は俄然一段と増したようです。中国では習氏の党総 書記が決まりましたが、共産党大会の異例の延期が暗示する ように、今後は経済的・社会的不安定化による“政治体制の 崖”が現実性を増してきそうです。わが国では、正に無能・ 無責任の民主党政権の末路を感じさせた野田総理の“解散宣 言”で政界の混乱は一層深まり、国民の目下の関心も選挙に 集中していますが、日本国は今や「何から何まで崖だらけ」。

 人間集団はその規模や目的を問わず、その盛衰を左右する ものは“リーダーの器量”。優れたリーダーを持たない、あ るいは持てない集団は(個々的にはどんなに優れた成員が存 在していようと)所詮は“烏合の衆”。「国家は果たして“巨 大な集団”と言えるか」という議論はさておき、今や人は誰 もが生まれながらにして、どこかの“国家”の国民であり、 しかも大部分の人々の人生は国家の命運により大きく左右 されざるをえないわけですから、優れた指導者に恵まれな い日本国民は全体的には、“烏合の衆”になる他はありません。

 唯一の救いは、日本が目下のところ戦前の日本と違って “民主”国家であること、また世界が目下のところ戦前の世 界と違って“グローバリズム”と称せられる開放体制下にあ ることでしょう。つまり、この状況下では(現実的にはそれ ぞれ困難な条件があるとは言え)日本人は誰でも自国を見限っ て、(先方が受け入れてくれる限り)どの国家で人生を送る 可能性も持っているわけです。現に日本の歴史の中で、現 在ほど世界のあらゆる国で多くの日本人がさまざまな職業 分野で活躍している時代はありません。彼らの顔が、日本 にいる日本人より総じて明るいことも、特筆すべき事実です。

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2012年11月12日

874 人生マラソンの勝者、山中伸弥氏

 山中伸弥氏のノーベル賞受賞後初の講演「論文で勝って 開発で負ける日本を変えたい─私が京都マラソンを走った 理由」の概要が『中央公論』12 月号に掲載されていますが、 一読すれば誰もが、山中氏への敬愛感を一層深めると共に、 日本の大学の研究体制の問題点を改めて考えさせられます。

 氏は先ず整形外科医を志し、神戸大学医学部を卒業して 研修医となりますが、(幸か不幸か)手術が不得手だったこ ともあって初志を断念。次いで、現代医学では不治の病気 や怪我の治療と取り組む基礎医学研究者を目指し、大阪市 立大学大学院で学んだ後米国のある研究所で3 年間研究生 活を送りますが、定職は得られず無念の帰国。その後のうつ 病状態を克服して奈良先端科学技術大学院大学助教授という 定職に就いた時は、すでに37 歳。同氏は決して秀才コース の栄冠走者ではなく、正に人生マラソンの苦闘の勝者なのです。

 現在京都大学i PS細胞研究所長である氏が今回ノーベル 賞を受賞したのは、他でもなく、氏が世界で始めてi PS細 胞をつくったからですが、氏はいかにも人生マラソンの苦闘 の走者らしく、この大業は自分だけではなく、周囲の多くの 協力者のおかげであるとし、しかも、研究の究極の目標は i PS細胞が一般製薬となって(これまで不治とされてきた) 多くの病人や怪我人を救うことにあると強調しています。

 研究者による基礎研究だけではなく、特許・規制・資金… 各分野における産学および国際連携を視野に入れ、研究者と 事務職員主体の日本の大学の伝統的研究体制を、広く学内外 の各種技術者や知財、広報…の専門家を含むチーム体制に編 成し直すと共に、中核研究者の社会的・経済的処遇の向上を 着実に実現すること、これが山中氏の当面の努力目標です。

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2012年10月30日

873 シルク・ドゥ・ソレイユのど迫力

 28 日東京国際映画祭が今年も成功裏に幕を閉じました。 毎年秋開催され今年が第25 回。日本は斬新な作品により世 界の映画関係者から戦後注目されてきた国だけに、各国から のノミネイト作品数も来会者数も伸びつづけ、今やその格式 は“世界三大国際映画祭”に近づいたと言われます。先年依 田巽君が開催委員長となって以降、凡そ映画界とは関係ない 僕にも開会式典への招待状に添えグリーンの蝶ネクタイと ポケットチーフが届くようになり、20 日の土曜夕方はタキ シードを着用しいそいそと「六本木ヒルズ」に出かけました。

 実は、晩餐会に先立って世界に先駆けて上映される話題の (3D 作品の極みと評判の)「Cirque du Soleil : Worlds Away」(邦訳題名「彼方からの物語」)の鑑賞が目当てでし たが、上映に先立ち例年通り今年も、委員長はともかく総理 大臣や経済産業大臣をはじめ内外のゲストのスピーチや紹 介やが延々1 時間を超えたのは興ざめでした。映画祭はとも かく、欧米諸国でのこの種の催しは、司会も来賓のスピーチ も進行の段取りも全てが滑らかで、物理的時間に比し心理的 時間が遥かに短く感じられるように思えてなりません。

 全世紀末にカナダで誕生した「シルク・ドゥ・ソレイユ」 は、その名のごとくサーカスですが、動物や曲芸は一切使わ ず、驚くほど大規模かつ精巧な装置を次々に開発しては、専 ら人間の運動神経の素晴らしさと肉体の美しさを妙なるバッ クグラウンド・ミュージックに交錯させて観客を陶酔の世界 に浸らせる革新的興行。僕は数年前に東京ディズニーランド 内の公演劇場で「Zed」を観賞して深い感銘を受けて以来 ファンとなりましたが、3D 映画のど迫力で、久しぶりに新 作を鑑賞し、新しい勇気を心身に注入された思いでした。

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2012年10月23日

872 橋下徹氏に真に望まれること

 『週刊朝日』(10 月26 日号)の佐野眞一氏と同誌取材班 による緊急連載記事第一回「ハシシタ 奴の本性」を一読さ れましたか? その内容の激しさから、「いよいよ朝日新聞 社も橋下維新に宣戦布告したか」と思った僕でしたが、20 日の朝日新聞朝刊は、36 面で「朝日新聞出版社が『週刊朝 日』先週号に(不適切な記述があったが故に)前記の連載を 中止したと」(他人事のように)報道すると共に、同誌編集 長の「改めて深くおわび」まで掲載したことに驚きました。

 朝日新聞出版社は同新聞社の有力子会社である以上、『週 刊朝日』の失態の責任は当然朝日新聞社そのものにも及ぶは ずですが、新聞記事の取り扱いからすれば、どうやら近々に 同誌編集長始め関係者に対する処分が行われて(世間的批判 が予想外に広がらない限り)一件落着となり、以後朝日新聞 社の対橋下徹氏ならびに“維新の会”への論調は微妙にトー ンダウンすると、僕は予測しています。では、天下の“朝日” の自失は、橋下維新の会に望外の利をもたらすでしょうか?

 僕には全くそう考えられません。橋下氏が主張するように、 父親や一部親族の奔放な人生は確かに同氏の人格に直接関 係はないにしても、既にマスコミで報じられ(氏自身も否定 できなかった)醜聞や暴言によって国民の間に形成された同 氏の人間像は、『週刊朝日』先週号が赤裸々にあぶりだした 同氏の出自によって、ますます薄暗いものになりました。

 人間誰しも、自らを省みて聖人君子ではありえないからこ そ、一国の指導者には心から敬愛できる人物を求めるのはご く自然です。天下国家を治める人物に「修身斉家」を期待し た古代中国の諺は、現在の日本を含む過剰なほどの民主的情 報化社会においても、一般庶民にとっては普遍の希いです。

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2012年10月16日

871 新しい日台関係を夢見て…

 ジュディ(・オングさん)を、「娘の…」と冗談に言って 友人に紹介できるのは、僕のような高齢の賜物。美貌(な女 優)、美声(の歌手)、(五ヶ国語に堪能な)才智、(誰からも 好かれる明るい)性格、(慎ましい)品性…と幼い頃に芸能 界でその天性を認められ、若くして既に名声を築き上げた彼 女ですが、実は20 歳代から学び始めた版画でも短期間にし て才能を発揮し、独特の風景画が専門家の間でも高い評価を 受け、“倩玉”の名は今や版画家として国際的に著名です。

 今年建国101 年を迎えた台湾では、10 月10 日の建国記 念日に因む催しの一つとして、台北の国立国父記念館・中山 国家画廊でジュディの版画展が華やかに(10 月3 日〜 24 日) 開催されています。なんと僕とワイフは、ジュディの帰国 時に合わせて兄上のマークご夫妻からご招待を受け、先週 は月〜木曜まで訪台。到着日の午後、ジュディの案内で画展 を鑑賞しながら、自然に集まる観客の眼差しに、故国の人々 の彼女への熱い憧憬を、先ず強く認識させられました。

 2 日目は終日台北市内の見物、3 日目は「(建築家である マークの作品)新台中駅を見たい」という僕の希望を適える ため、早朝からご夫妻は僕たちと一緒に車で高速道路を一路 南下。途中新竹の有名なハイテク・パークなどを視察後、更 に、(今や人工湖の面影は完全に消滅して箱根を彷彿させる 素晴らしいリゾートとなった)日月潭の高級ホテルで豪華な 昼食後はケーブル・カーまで楽しみ、帰途は新台中駅ビルを じっくり見学し、ご機嫌で“新幹線”に乗った次第です。  帰国する日を除く毎夕、ご夫妻が台湾各界の人々を招いて 開催してくれた晩餐会によって生まれた多くの友人と協力 し、僕は僕なりに新しい日台関係を築く意欲に燃えています。

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2012年10月9日

870 全体主義は忘れた頃にやってくる

 資産3 億円以上の家庭を対象とし、庶民には凡そ雲の上の 美食、遊興、旅行、医療、教育…にわたる広範なサービスを 提供している「クラブ・コンシェルジュ」という名の会社を ご存知だろうか? 会員制で入会審査も極めて厳しい。どう いうわけか同社から先ごろ僕に対し、「これからの日本人へ」 という題名で、機関誌『Club Concierge』への寄稿依頼があっ た。当然驚きもしたし、いぶかりもしたが、生来の好奇心 もだしがたく、結局先週末に一気に原稿を書き上げた僕は、 上記の副題をつけたその一文を以下のように結んだ。

 「“国”と“国家”を混同するのは日本人に限ったことで はないが、少なくとも英・米人なら、語源的に“故郷”とし てのcountry と(“教会”に対する)“政府”としてのstate との意味を感覚的に区別しているはずだ。つまり、国家とは (土地に主権を確立し住民を支配する)権力機構であるのに 対し、“国”に対する“愛”は本能に近い。全体主義とは、 “国家”が支配する国家形態だから、民主社会を経験した 人々なら、言論や行動、やがて消費や資産にまで国家の介入 が強まるにつれ、やがて祖国から逃げ出したくなるが、恐ら く「時、すでに遅し」というのが、本稿の副題の意味だ。

 本誌の読者なら、すでに“資産フライト”策などは当然講 じておられる筈だが、多くの方々はまだ、「状況次第では、 家族ぐるみで祖国を捨てて…」といったことまでは考えてお られないだろう。だが、全体主義の到来は常に劇的だから、 僕としては、国外脱出計画の早期準備を切にお勧めしたい。 一方、「日本は離れたくない」という気持ちの強い方々には、 戦時中の日本や現在の北朝鮮人民の実情などを深く再検討 され、その気持ちの徹底検討をお勧めする次第である。」

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2012年9月26日

869 日中尖閣紛争余談

 先週金曜の昼近く、都心へ向かう地下鉄日比谷線の車内は 空いていて、広尾から乗った僕は、前方は片側だけが客席の 真ん中に一人座ってご機嫌…。次の駅六本木で乗ってきた客 は、服装も姿かたちも断然洗練された美男美女のカップル。 さすがに、空いている席など見向きもせず、僕の斜め前で寄 り添って、立ったまま親しげに会話を交わすその格好良さ…。

 「これぞ六本木界隈…」と独りでほくそ笑んでいた僕とそ の美女の視線が何気なく合うや、彼女は何とにっこり親しげ に笑って「あらー、先生…」。その美しい笑顔で幸いすぐ僕 の心に蘇った彼女は、中国人元女優の耿忠さん。たしか映画 作家の河瀬直美さんの紹介で僕のオフィスに訪ねてきたのは もう数年前。僕も笑って会釈しながら席を勧めると、彼女が男 性の耳に何か囁いて、二人はごく自然に僕の両側に座りました。

 早速隣の美男と名詞交換すると、その名は李纓氏、若き映 画監督、やっぱし…と思いつつ彼女に久闊を叙したあと、「… 最近何か日本で不愉快な目に会わなかった?」と問うと、「なー んにも、日本の皆さんとっても優しい…」という返事にまず 安心し、ひとしきり和やかな雑談をした後「また、二人でオ フィスにいらっしゃいね」と、霞ヶ関駅で別れた次第。

 尖閣諸島の領有をめぐる日中両国の今回の紛争で、自国民 に強い反日機運を起こさせたことは中国指導者の思惑通りだっ たとしても、あの暴動まがいの騒ぎは、日本社会の対照的冷 静さとの対比で、世界の多くの国民に「中国が未だ不安定で 怖い大国」との印象を与えたことは確実です。しかし、騒動 のきっかけをつくったのはあの石原某。いつもいかにも小心 者らしく目をしば叩かせながらわざと「支那、支那…」と蔑 むそんな人物が東京都知事とは、僕には信じられませんね。

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2012年9月17日

868 大阪維新の会異聞

 満85 歳を迎えて以来僕は何故か異常に多忙で、Rapport さえ3 週間も休筆した次第。何人かの方々から「もしや…」 というご配慮を込めた電話など頂きましたが、僕は至って元 気に東奔西走の日々を送っておりますので、ご安心ください。“西走”と言えば、先週は月曜から2 泊3 日で久しぶりに 関西出張し、頼まれていた仕事を全て果たしてきました。

 仕事の一つは、先月来依頼を受けていた大阪府の観光振興 策具申の件。火曜午後は府職員の方々の案内で、澤田秀雄君 (HIS 会長)や同君が会長をつとめるアジア経営者連合会 の幹部諸君と共に大阪の7 繁華街を視察した後、16 時半か ら本庁で松井知事に対し大阪の観光振興について意見具申 を行いました。意外に時間的に余裕があったので、僕は2 度にわたり松井知事に「…戦前を経験した生き残り日本人の 一人として、(知事も深く関わっておられる)大阪維新の会 に対して僕は(今や堕落の極にある)わが国の政治を一新し てくれるかもしれないという期待感と、反面では(遂に戦後 日本にも強権政治が到来したかという)不安感を抱いていま す。が、まかり間違っても、維新の会が“右翼全体主義”へ の道を歩まないことを願っています…」と念を押しました。 知事の反応が意外に和やかだったことに満足した次第です。

 ところが、水曜日に帰京するや、僕のオフィスや自宅には、 幾つもの新聞や週刊誌から電話で取材の申入れ。何れも前記 松井知事への僕の発言の真意を知りたかったようですが、僕 の返答は極めて素っ気無く、「真意は、僕の発言通り。知事も 真面目には受け取っておられないでしょう。それだけです…」。 予想もしなかったマスコミの過敏な反応に、大阪維新の会 に対する国民的関心の強さを実感させられた次第です。

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2012年8月28日

867 “レイムダック日本”の近未来

 政治の混乱、経済の低迷、社会の閉塞が常態化している日本、そんな国を他国が同情するほど国際関係は生易しくはあ りません。先般つづけて起こった李韓国大統領の竹島視察と 帰国直後の天皇への侮辱発言、および香港の過激活動家によ る尖閣諸島上陸は、明らかに久しい“内憂”で国威の低下し た日本に対する韓・中両国による(それが両国民の総意では ないにせよ)“外患”の前触れであることを覚悟すべきです。

 日本国が対抗措置としてやったことと言えば、韓国大統領 に対しては野田総理が(抗議の)親書を送り、尖閣に上陸し た14 人を不法入国で(罪を問うことなく)強制送還させた ことだけでした。しかしその親書は先方に受理されず返送さ れ、強制送還された面々は香港で支持者たちによって英雄と しての扱いを受けただけでなく、日本の“穏便な措置”さえ 韓・中両国では少なからぬ国民の反感を買い、各地では自然 発生的に反日デモや日系店舗への投石事件が起こりました。

 さて、問題は今後。国会では先週末衆院本会議で(改めて 竹島・尖閣を日本固有の領土と強調した上で、自民・民主両 党の賛成で)上記両事件に対する抗議決議を辛うじて可決し た程度ですが、例によって一部マスコミやソーシャル・メディ アに煽られて国内では“国粋主義的”強硬論が俄然目立ちは じめたことが、僕には気になります。敗戦の混乱期に北方4 島をソ連→ロシアに、 講和条約成立直後の混乱期に(旧マッ カーサー・ライン→)李承晩ラインで竹島を韓国に不法占領 されたまま、日本は泣き寝入りしつづけてきたのに…。

 近く日本に誕生しそうな極右政権が(今や世界6 位の軍事 費を頼りに)領土保全を目ざし陸・海・空自衛官24 万人に 動員令を下す時、“平和国家”の幻想は遂に潰えるでしょう。

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2012年8月20日

866 代議士とは所詮“使い捨て人材”か?

 野田首相の「近いうち…」発言で一段と現実味を増した次 期衆院選の目玉は、何と言っても「大阪維新の会」。未だに 一“地域政党”に過ぎませんが、いきなり政権が握れる200 議席確保を目指し、(選挙費用は全て自前が前提で、月一回 の受講料1 万円の)「維新政治塾」塾生を公募したところ、 定員400 人に対し8 倍を超す応募があり、書類審査をパスし た約2000 人に対しこの春から講義が始まりました。

 その後受講態度や論文審査などで篩いにかけられた後正式 塾生に認められた(職業、性別、年齢…多様な)888 人から 厳選された約300 人が次期衆院選のための立候補要員にされ るとのことですが、民主党は勿論のこと既成政党は押しなべ て有権者の人気を失っていますから、次期衆院選では相当数 の“維新の会”所属議員が誕生する可能性は極めて大。しか し彼らの大部分は、(次期衆院選で一掃されることを僕が希っ ている)“小泉チルドレン”や“小沢ガールズ”よりはまし とはいえ、政治素人であることに変りはありません。

 一般に“代議士”と称せられている政治家は、日本という 我々の国家の命運を左右する最高権力者ですが、彼らの多く が政治塾に1 万円の会費を払って月1 回の講義を8 回程度聴 いただけの素人であることに国民が疑問を感じないところに、 現行の日本の民主主義の決定的問題点があると僕は信じてい ます。まともな“職業”は、例外なく、最高レベルに達する のには何十年の修行なり研鑽なり努力の積み重ねが必要であ ることを考えると、代議士とはまともな職業ではなく、大部 分はちょうど映画撮影の際に動員される“エキストラ”のよ うな“使い捨て人材”。そんな連中に高額な歳費を使って空 威張をさせ続けるのも、果たしていかがなものか?

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2012年8月6日

865 仙台、僕の愛する仙台

 先週前半は久しぶりに仙台。初日午後は「村井嘉浩(知事) 後援会」主催の会合で500 人を超す聴衆を前に講演をした後、 イヴニング・パーティーでは知事ご夫妻とご一緒に数知れな い来会者の方々と歓談に時を忘れ、二日目は親しい友人三人 と炎天下でゴルフに打ち興じ、三日目は当地の代表誌『りら く』九月号のための知事および鍵山秀三郎氏との鼎談で積極 発言・・・と言った具合に、実に充実して楽しい三日間でした。

 宮城県立大学の設立に深く関った後単身赴任の身で4 年間 初代学長として過ごした仙台は、僕の人生では、最も波乱に 富んだ時期でした。多摩大学を仕上げて意気盛んだった僕が 志した“公立大学改革”は、公募で集まった教員たちの多く には当然ながら到底受け入れ難いものだったらしく、(多分彼 らの懇請を受けたと思われる)一県議の県議会での異常な“学 長攻撃”が、仙台市民の間での一大事件となったからです。

 この時期、“改革”が売り物だった前知事は突然僕との距離 を置いた中で、何人かの県議はいろいろな仕方で僕を慰労し たり励ましたりしてくれました。その一人が現知事の村井さ んでした。そして、「野田学長は憤慨して辞任し、帰京してし まうだろう」という風評が広まった中で、心ある市民有志に よって自然に結成されたのが「野田一夫ファンクラブ」です。 今や知事となった村井さんと僕との友情はますます固く、ま た、ファンクラブは僕が学長任期を全うして帰京した後も存 続して、僕が仙台を訪れるたびに今も盛大に開かれています。

 典型的な“明治の男”だった僕の父は、「触らぬ神に祟りな し」といった諺に示される安易な庶民的処世術を嫌悪してい ました。その父を誰よりも尊敬し、“反骨人生”を貫いてよう やく今達した穏やかな“老境”に、僕は深く満足しています。

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2012年7月31日

864 自らを貶める者は、貶められる

 3 ・11 以後、副次災害である放射能汚染への不安も災いして、 在日外国人の多くは潮が引くように続々本国へ帰り、また来 日外国人の数が激減したことは、ある意味で自然ですが、「自 然だったとはどこまでが・・・」と考えてみる必要もあります。 日本で起る大災害は、当然日本のマスコミもソーシャルもこ ぞって過大にとりあげ、その被害が海外に伝わると、“加重 効果”によって、危険意識や恐怖感は当然ながら高まらざる をえません。その効果が被災地以外の土地に住む日本人の“風 評被害”意識などより遥かに膨らんでいくとすれば、この加 重効果は“自然”と言うべきではないでしょう。

 更に、「M10 の直下型地震が東京を襲えば・・・」とか「富 士山が大噴火を起こせば・・・」とか「現存するほとんどの原 発の地下には危険な活断層があって・・・」といった日本の新 聞やテレビでは日常化してしまった推測報道が外国のマスコ ミやソーシャルで伝えられる際、外国人一般が日本人一般よ りその発生の可能性を遥かに高く、またその発生の時期到来 を日遥かに早いと認識してしまうとすれば、この認識とそれ に基づく行動も“自然”と割り切れないはずです。

 つまり、日本人は自国に起った、あるいは起りうる災害を 過大視することにより、結局は国際社会の中での自らの不利 を限りなく拡大してきているように思われます。土居健郎氏 は名著『甘えの構造』によって、日本人特有のメンタリティー を「他人への甘え」という観点から解明しましたが、日本人 が自国に起こった、ないし起こる可能性のある災害に対して、 外国人の過大な同情を期待するのも、一種の“甘え”かも知 れません。“甘え”は一種の卑下。「自らを貶める者は貶めら れる」というわが国古来の諺を想起すべきでしょう。

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2012年7月18日

863 民衆が本当に決起する時は今か?

 三連休最後の昨日、珍しく快晴に恵まれた東京では、今夏 最高の暑さの代々木公園で、市民団体や労組主催の「さよう なら原発10 万人集会」が開催されました。呼びかけ人に大江 健三郎や坂本龍一といった有名人まで名を連ねたこともあっ て、会は大成功のうちに幕を閉じたとのこと。参加者数は主 催者発表17 万人と警察発表7.5 万人とでは何時もながら大差 がありますが、それでも大変な大衆の数には驚かされました。

 ただし僕には目下、この種の催しに参加する気が起こりま せん。太平洋戦争の敗色濃厚だった頃のある日、日比谷公園 内を通りかかった際に、たまたまそこで開催されていた「鬼 畜米英撃滅大会」と銘打った集会の様を遠くから眺めて感じ た時の記憶が、今も鮮明だからです。当時僕は旧制高校の学 生でしたが、一様に興奮の極にある表情のおじさんたちが、 壇上の一人物の取った音頭に呼応して一斉に「鬼畜米英撃 滅!」と叫んでいた姿を片時も忘れたことがありません。こ のおじさんたちの多くも恐らくは、敗戦後進駐してきたGI に 対しては、満面の笑顔で歓迎の米国旗を振っていたことでしょ うが、何時の時代も民衆は“時の勢い”で駆りだされます。

 僕は民衆の国家権力への蜂起の意義を一概に否定しません。 最近の“ジャスミン革命”に端を発した中近東諸国の民衆運 動のように、戦う対象がたとえ命を賭けても倒すべき許しが たい国家権力なら、今や85 歳でも、僕は知的民衆の一員とし て大衆運動に勇躍参加することでしょう。しかし、「原発を即 時全廃すべきかどうか」を自らに問うてみて、率直に言って 理性的に賛否を答えられない今の僕には、一時の感情に駆ら れまたは時勢に抗しきれずに大衆運動に参加する気が全く起 こりません。この自主性こそ“戦中派”の矜持と信じます。

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2012年7月4日

862 変り過ぎる時代、変らな過ぎる日本人

 最近の日本人は明らかに、過剰な“災害恐怖症”に陥って います。もちろんその起因は正に「忘れた頃にやってきた」 東日本大震災+大津波で、東北の太平洋岸の広汎な地域が壊 滅して2 万人近い人命が失われ、加うるに副産物として、福 島原発の損壊に伴う深刻な放射能被害がもたらされました。

 結果として、「当面地震予知は不可能」とする地震学者、 また「当面原発全廃は不可能」とする原発専門家の口は事実 上封ぜられ、逆に(科学的根拠が定かではないことを認識し ながら)巨大地震の到来を声高に唱える地震学者と(実用化 には種々な障害を克服せねばならぬことを知りながら)“自 然エネルギー”重点主義への即時転換を断固強調する専門家 の発言が無責任なマスコミによって増幅されつづけた結果、(大 津波を伴う)壮大な大地震対策とか性急な原発廃止が、それ こそ国民与論を背景に全国的に実施されそうな機運濃厚です。

 僕は僕と同世代で今は亡き天才的社会評論家・山本七平を 改めて懐かしみます。彼は「日本語には未来構文がないから、 未来構文である“あるべき姿”を現実構文である“今ある姿” を同列視して疑わない」と嘆じ、かつて公害が深刻化した時 期に、激高したデモ隊が「日本の全工場をとめろ」と叫んだ 例を挙げています(『空気の研究』)。「やがて石油の輸入を止 められるかも…」という不安がいつしか臨在感的思考となり、 「不当に止められるなら、直ちに戦ってでも…」という無謀 な開戦となっていったあの太平洋戦争も反省すべきでしょう。

 (開戦にそれなりの理由があったにせよ)あの悲惨な戦争 は日本全土を灰燼に帰し300 万人余の人命が失われました。 敗戦後の“民主化”で、一時は戦前とは思考法まで変わった かに思えた日本人ですが、やはりその本質は不変のようです。

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