2017年7月6日 |
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健康に歳を重ねてきた私は、「卒寿の今年6月22日前後はいろいろお祝い会が重なるはず…」と覚悟はしていたが、その数は予想を遙かに上回った。「梅雨の最中でもあり、産業界各社の“株主総会の季節”でもあり」という理由で、先駆けは何と5月22日。これまで関係のあった5経済団体の共催。
しかし一学究の身。数百人のささやかな会を予想していたが、当日来会者は千人近くに及んだのは、今も信じられない。石田純一君の司会で始まった会は、冒頭、小泉純一郎元首相の来賓代表挨拶、ジュディ・オングさんによる花束贈呈、友人代表茂木友三郎キッコーマン名誉会長の友情溢れる祝辞で始まった。
宴会前には、(若い頃、僕の赤坂オフィス来訪の常連で、早々と世に名を成した)“ベンチャー三銃士”のうち澤田秀雄HIS会長兼社長と南部靖之パソナグループ代表との対談が行われ、海外出張中の孫正義ソフトバンク社長は、わざわざビデオメッセージを送ってくれたではないか。衷心喜びを感じた次第。僕は何たる幸せ者!
我が人生を振り返れば、幼くして、日本の航空技術者を先駆けた父を憧れ、父に続こうとした青年時代までの一途な努力が、旧制高校時代の国家の敗戦で水泡に帰してから70年。心ならずも文科に転じ、社会人となり先ず大学教員としての職を得た時点でも、その職で人生を全うする気は全くなかったものだ。
だが「人生万事塞翁が馬」。早々と米国留学を果たした一先輩が土産にくれたP・ドラッカーの書に感激し、僕がその書の翻訳監修をしたことが縁で彼との交友が生まれ、MITに招かれ、2年間の研究生活の過程で“起業家”という絶好の研究テーマにも巡りあい…、僕の学者人生は終生活気に満ち満ちた。
以来60年、素晴らしい起業経営者と相知り合い、多くを学び、学んだ成果を抽象化して書き語る一業界を中心に、人間関係をいろいろな分野で自然に広げ、かつ深めてきた。この間にどんどん増えた友人たちと、結婚満60年を迎えた妻と4人の子供たちに、心からの感謝を捧げつつ、本稿を終る。
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2017年6月5日 |
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今年も僕の誕生月の6月がやってきた、22日で満90歳を迎えるのだが、“卒寿”というとくに目出たい誕生日ということで、家族や友人、教え子や秘書たちそれぞれの心のこもった毎年恒例の祝いの集まりの他に、関係する団体が開いてくれる祝賀会まで加わり、幾つかは既に先月開催された次第。実に有難いことだ。
僕が日頃関係している5つの団体が先頭をきって先月22日夜、品川のホテルで開催してくれた祝賀のパーティーは、(それを知るや)率先、「オレが…」とおっしゃって下さった小泉元首相の乾杯と(僕の娘と自認してくれている)ジュディ・オングさんの花束贈呈の後、世に“ベンチャー三銃士”と言われる創業経営者のうち澤田秀雄(HIS社長)・南部靖之(パソナ社長)両君の対談および(当日海外出張のため、孫君がわざわざ事前に作成してくれた)ビデオ・メッセージで華やかに開始されたのだが、はじめは(600〜700人と予想されていた出席者がなんと千人になんなんとする盛況だったことは、僕にとって、正に望外の幸せだった。
ところで、最新の政府統計によると、日本人男性の寿命は平均で女性86・99歳、男性80・75歳だが、“健康寿命”となると女性75・5歳、男性71・5歳ということだから、僕は90歳で仕事に遊びに昔通り毎日元気な充実した時を過ごせる自分の幸せを、(大いにオーヴァーな表現と自覚しつつ)友人・知人とワイフ・
子供たちに心から感謝しつつ毎日を過ごしている。
「元気に毎日を過ごせる」とは言え、この歳の元気老人にとっての最大の不幸はと自問してみれば、すぐ頭に浮かぶのは、同年
で元気な友人が絶無に近くなることだ。恐らく彼らは今頃“三途カントリー倶楽部“でゴルフをしながら、「ノダちゃん遅いね…」などと語りあっていると思うと、この世であまりに長生きしてあの世へ行く頃には、彼らの大部分も更なるあの世に旅立った後で、僕をがっかりさせるかもしれない。長生きもほどほどか…?
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2017年2月21日 |
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観光庁長官としては国民から抜群に人気のあった溝畑宏(ひろし)君は、現在は大阪観光局理事長として東奔西走の大活躍をされていますが、もう十数年来、会えば所嫌わず僕のことを「師匠!」と大声で呼ぶので閉口しています。…「やめてくれよ」と何回も注意したのですが、一向にやめる気配はありません。
そもそもの原因は、同君がかつて内務官僚時代に大分県に出向しておられた際、上司として仕えた知事平松守彦さんの人柄に惚れこんだことにあります。僕は、その平松さんが通産官僚として大活躍されていた頃に相知り合うや意気投合し、“ノダちゃん”・“ヒラマツちゃん”と呼び合う仲になりました。
そのことを知って以来溝畑君は、僕を「師匠!」と呼ぶようになったのです。先週はその同君と共に、会津若松市に講演旅行。…ご存知でしょうか? 一昨年から文化庁は“日本遺産“という認定制度を開始しました。名称から“世界遺産“が連想されますが、日本各地に点在する文化遺産や自然遺産を“面”としてとらえ、広く発信することによって地域活性化を計ることを狙った点、正に観光庁顔負けの感ある政策です。
一昨年からわずか2年間ですでに37件が選定され、昨年は「会津の三十三観音巡り」がその一つに入ったことは、会津の政・財界指導者はもとより住民の方々を喜ばせ、“観光”需要の急増を期して今回の会合が開かれ、溝畑氏と僕とが講師としてお招きを受けたというわけです。予定人員を遥かに超えた来場者用に補助椅子が準備され、しかも、終了予定時間が来ても客席には空席がほとんど見られなかった状況にわれわれも励まされ、二人で交互に楽しく喋り続けた次第です。
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2016年12月24日 |
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今やわが国社会では年末の“国民的関心事”の一つにさえなっている(自由国民社『現代用語の基礎知識』の)「ユーキャン新語・流行語大賞」の今年度第一位は、なんと「神ってる」。…プロ野球ファン、しかもセ・リーグファン以外には広く知られてはいなかったはずの(「広島カープ」の緒方監督が優勝決定直後に思わず吐いた)その一言。 実は少年時代から虎キチ”の僕は、その一言をもちろん知ってはいましたが、それが今年の流行語大賞第一位になったことは、全く意外でした。
この春、一主婦がブログに投じて以来広く長く世の話題となり、僕がRapport-959 でも取り上げた「保育園落ちた日本死ね!」は、第六位。投書が年初だったとは言え、これは納得できません。僕たち夫婦は幼い頃長女を亡くした後、三男一女に恵まれたこともあり、また時代のせいもあって、ワイフが外に働きに出た経験は僕にはありませんが、「保育園落ちた日本死ね」と叫ぶ女性の怒りと哀しみは十分理解できます。たしかに、わが国の現在の社会的・経済的状況の中で、保育園需要だけを短期間に完全に満たすことは、所詮無理でしょう。
しかしながら、外に職を求めざるを得ない主婦たちが、在宅の仕事でそれなりの収入を得られる体制が、国家的プロジェクトとして可及的速やかに整えられ、あくまで現実主義的に実施されることを、僕も念願します。もちろん、立案し実施に移すことは諸般の事情で容易ではありませんが、こういう時こそ安倍首相の決断力の見せ所と、僕は期待しています。
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2016年11月22日 |
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『日経ビジネス』誌2014年9月22日号の「隠れ介護1300万人の衝撃」と題した大型特集記事は、日本の産業界各社のとップや人事担当者に衝撃を与えました。静かに“高齢化”が進行中のわが国で、各企業はその事業分野・その企業規模に関わらず、自社の中高年社員の多く(同誌の推定で、約1,300万人)は密かに“隠れ介護”に悩まされ、結果として、そのうち相当数の人々が退社の決意までせざるをえなくなっているという厳しい現実を、この記事は初めて大々的に世に伝えたと言えます。
しかも、日本企業のトップはもとより人事担当者も、日本社会のこの不可避的趨勢が自社に与えるマイナスの影響を観念的にはとうに理解しつつも、自社の経営に与える具体的インパクトとその有効な対策の検討までも行っていた企業は絶無に近い状態でした。その原因は、親の介護に悩む社員は(日本企業では)概して高年齢≒長期勤続≒管理職社員で、自らの悩みを会社に申し出ることのマイナス効果を怖れ、最後の最後の段階で決意を迫られるまで、“隠れ介護”に徹しつづけるからです。
それ故なお更、彼らから突然退社の申し出を受けた会社側の困惑と打撃は(程度には個別差があるとは言え)大きく、(経験も準備もなかった)対策に大童にならざるをえないのです。ところが、すでに20年も昔からこの種の現実を憂い、その具体的解決を目的とするベンチャーを起こした人物がいます。
リクルート社出身の大澤尚宏君。彼は“将来の日本に絶対必要なこと”を実現すべく、先ず“ノーマライゼーション”=障害者の社会生活向上を目的とした活動で一応の実績を残した後,すでに十年前に“オヤノコト”の名で早々と「高齢の親とその面倒を見る中年の子供の“望ましい関係”の形成と持続」を目的とするベンチャーを起こし、着々と実績を重ねてきました。その彼にいよいよ、実力を存分に発揮する時代が来たようです。
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2016年11月22日 |
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先週末(11月19日)には長崎で今年度(第12回)ドラッカー学界全国大会が開催され、僕は全国から参集した百数十名の出席者を前に、講師として90分の講演をしてきました。多忙な日程をあえて割いた理由は二つ。一つには、同学会発足以来の顧問職を、今年度限りで勇退させていただく挨拶代わりにしようと決意したこと。いま一つは、この大会の講師のお一人だった岩崎夏海氏に対し'直接に心からお詫びすることでした。
2003年のこの学会の東京での年次総会での講演の結びで僕は、当時べストセラーとして広く世間の話題の的となっていた岩崎氏が出版された“もしドラ”(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』)を、(読みもしないで)しかも痛烈に批判しましたが、それを読んだ友人の一人から、「同書の内容はそのタイトルから連想されるほど低俗な本でではない」と教えられ、深く反省したものです。
…かと言って、その後今日まで僕は同書を読んでいませんし、また、読もうとする気もありませんが、とにかく、読みもしな
いで同書を痛烈に批判した自分を深く恥じ続けてきたからです。その後も同書を読んではいない僕ですが、とにかく自分が“その場”の感情に駆られ、読んでもいなかった本の著者を公の場
で痛烈に皮肉った自分を、その後は心中で責め続けてきました。
お会いした岩崎氏の印象は予想以上の“紳士”で、講演前の僕の“お詫び”には、当方の心が痛むほど和やかに対応してく
ださり、大会終了後の夕食会では、わざわざ僕の席の隣の席に奥様とご一緒に座って、終始歓談の相手をしてくださったことは今回の九州の旅の、いや生涯忘れえぬ思い出となりました。
…かといって、僕は未だ『もしドラ』を読んではいませんし、恐らくこれからも読むことはないでしょう。内容はともかく、あの本のタイトルは、僕の親友ドラッカーには似合わないので…。
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2016年9月9日 |
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昨夜は明大駿河台キャンパスの大教室で、日本私立大学連盟主催の公開講演会(テーマは「起業家精神と日本の教育〜
教育改革の一つの視点」)が開催され、僕は二人の講師の一人として熱弁を奮った後,出席者の方々との間でも熱い質疑応答を交わしました。主催者は日本の名だたる私立大学百数
十校が加盟する一般社団法人日本私立大学連盟だけあって、日本の大学に近年広く定着した異常な就職活動の反省を感じさせるテーマを掲げ、かねてからその異常さを機会ある度に
マスコミを通じ指摘してきた僕に、講師の依頼があったのでしょう。事務局の方からの「この講演会は発表され間もなく出席申し込みは定員達成…」の一言は、僕を喜ばせました。
国(文部省→文科省)が事実上間に立って大学卒業生の産業界への就職が混乱を来たさないようにする,いわゆる「就職
協定」の起源は1953年ですから、敗戦後の占領軍主導の戦後の教育改革で誕生した新制大学の最初の卒業生が世に出た頃のことです。その2年後に神武景気を契機とする戦後日本の
高度経済成長が逞しく始まって以来、大学数が増加するにつれて、産業界各社の大学卒業生獲得への意欲は恒常的に高まり、上記“就職協定”破り=所謂“青田買い”は、やがて,
事実上世の厳しい批判の対象ですらなくなってしまいました。
一国の経済成長にとって“起業家”の果たす役割がいかに大きいかは、近年では戦後の日本、最近ではシリコンヴァレ
ーによって俄然経済活性化した米国が良き実例でしょう。一国の経済成長に伴う高学歴社会は,起業家的資質を具備した青年の多くを大学卒の“サラリーマン化”させることによリ、
人生で彼らが貴重な天賦の資質を発揮、いや自覚させることすら失わせ、結果として, 一国そのものの経済的活力までも喪失させて行くことを、僕は誰よりも懸念しています。
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2016年7月25日 |
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今朝起きがけに日経朝刊に目を通しつつ6面を開いた途端、『孫氏、執念の買収』と言う大見出しが僕の目に飛び込んできました。申すまでもなく、今回のソフトバンク社の英国アーム・ホールディング社買収に関する大型記事の(上)ですが、今春孫君が飛行機で移動中に、機内のトイレで鏡に映った自分の顔をしげしげと眺め「…いつの間にこんなに老けこんだのか…」とため息をついたという,憎いほど上手い書き出しです。この記事を一気に読み終わった僕は、「これぞ、ソフトバンク社株主総会での孫君の(社長引退撤回の)“爆弾宣言”の根因を推察するための最も説得力に富む記事だ」と感心した次第…。
この決断を下す前に「何時どういう条件でアローラ氏を納得させたのか」という真実は、恐らく当分或いは永遠にお二人のみの秘密でしょうが、例の株主総会で株主たちを完全に煙に巻いて(?)無事終わらせた孫君は、翌週日本を発って、シリコンバレーの自宅でアーム・ホールディング社のCEOを招いて膝詰談判するや、その翌週には渡欧し(先方を満足させる条件で)買収を成功裡に終わらせたとのこと。思えば一零細企業としてインターネット・ビジネスに参入してから20年、数々の批判をよそに、何時しか自社を日本産業界きっての急成長企業に引っ張り上げた、いかにも孫君らしい驚くべき行動力です。
ただしアーム社の当面の利益貢献度は、現時点では買収金額に比して余りにも小さいことから、未だに苦戦を強いられてい
る米国スプリント社買収に引きつづき孫君は、壮大な将来構想実現に向けての“戦略的投資”をまたまた敢行したわけです。株式市場に集う俗物どもは、目下のところ依然孫君の壮大な経
営戦略に度肝を抜かれたようで静かですが、長年の友人である俗物の僕も、「低金利時代が一日でも長くつづくこと」程度のことを、親愛なる古き友人・孫君のために、ただ祈るのみです。
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