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野田一夫かく語りき
わが半世紀の大学人生
 
 九三年に知事を通して初めて接触のあった宮城県の県立大学の設立は、そうした好条件を具備した数少ないプロジェクトであった。何よりも、設置者の高邁な理念とそれを実現するための積極的投資態度に魅きつけられた。九一年からは文部省が大学設置基準の大幅な規制緩和を実施していたから、それまで日本の大学では不可能だった学部・学科の設置や自由なカリキュラム編成も可能となり、私の心にはいろいろな構想が浮かんできた。それに、「米国の一流大学関係者が訪ねてきても肩身の狭い思いをしなくてもすむだけの内容と風格を持つキャンパス」の創設は年来の夢であったから、当時すでに六十歳代後半という年齢を全く省みることなく、私はこの大学の設立に積極的に協力する決意を固めた。

 一九九七年、宮城大学の初代学長に就任するとともに、私は生まれて初めて地方公務員になり、しかも家族の事情から、古希の身で仙台に単身赴任することになった。「貴方に県立大学学長はせいぜい数ヶ月…」と言った妻の予想を裏切り、仙台の生活もすでに二年半を超えた。あっという間に過ぎた歳月であるが、振り返ってみると、驚きと苦労の連続であった。宮城県だけとは限らないが、機構上は一地方機関に過ぎない県立大学に対しては、その活動を二重三重に規制している県の制度・慣習があり、それらとの熾烈な戦いの日々は、今にしてやっと懐かしく回想できる段階にまでこぎつけた気がする。

 ということは、この時期に県も独自の行政改革を進めようとしたこともあって、開学以来の本学の自主的運営権拡大の要求は、"行政改革モデル"の名のもとに(開学当初に比べれば)格段に大きく認められるようになった。この路線が今後も順調に推移してくれるならば、「二十世紀型大学との決別」、「高度な実学を通しての地域社会への貢献」、「経済自立十ヶ年計画の達成」、「二十一世紀の公立大学モデルの先駆的実現」…と本学が掲げるかずかずの理想は、近い将来、着々と実現していくであろう。もちろん、私が在任中に実感をもってそれらの全てを見極めることは無理だろうが、明るい将来を確信してその基盤づくりに励めることだけで、初代学長の私には十分やり甲斐がある。
おわりに
 若くして心ならずもはじめることになった「わが大学生活」も、以来半世紀ともなれば、本誌編集委員会から許された紙数の中で語り尽くせるものでないことを、筆を置く段階になって私はやっと思い知らされている。それでももしこの拙稿にご関心を寄せられる読者がおられたならば、ぜひ既刊の拙著のうち、少なくとも『私の大学改革』(産能大学出版部、一九九九年刊)を併読下さることをお願いし、本稿を閉じさせていただくことにする。

以上
 
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