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「人が嫌がることを率先して引き受ける若者ならどんなことを任せても安心。」卒業生で清掃事業を興す女性起業家も出た |
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帰国後、野田は学生に「人生の教師」として、不条理の横行する日本でいかに生きるべきか、頼まれてもいないことまで熱心に教えた。「赤信号は『皆で渡れば怖くない』ではなく、『一人で渡れば怖くない』、だ」。そのかたわら、都心に個人事務所を置き、財界、教育界の友人の力を惜りて知的プロジェクトを次々と実現していくという「大学教授の新しいビジネスモデル」(寺島実郎・三井物産戦略研究所長)を確立していった。
千代田区平河町に開いた「平河町クラブ」を始め、次々と都心に創るクラブ形式のサロンは、志を同じくする経営者、学者にとって「オポチュニティーの集積場」となった。既に野田とは50年近い付き合いだという日本IBM最高顧問の椎名武雄は、「野田さんの人脈は縦、横、斜めに広がり、個人のみならず固まりで増殖する」と評する。同社が伊豆・天城に持つ研修施設「天城ホームステッド」を会場に官・財・学・マスコミの論客約40人が集まり、2日間テーマを決めて侃々諤々の議論を戦わせる「天城会議」。これを椎名らと相談して始めた野田は、現在も中心的役割を果たす。その人材の集積の中心にあるのは「日本かくあるべし」と合理的に論ずるイレギュラーなジャパニーズ、野田一夫の持つ「夢」である。やはり50年近い交友関係を持つ大分県知事の平松守彦は「その夢が経営者を魅了し、彼の経営能力を経営者が見込んでプロジェクトを実現させるんだ」と語る。 |