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野田一夫かく語りき
 野田と共に行政改革を進めてきた宮城県知事の浅野史郎は、「野田さんは攻めには強いが守りには弱い部分もある。反対の意見にも寛大であってほしい」と困惑の態だ。だが、当の野田はそれ以前から、県立大学長としての立場に限界を感じてきた。大学の経営責任を負うべき学長が、県下150の地方行政機関の長と同列で、収支改善の権限も与えられない。何より設備者の県に収支という概念すらなかった。
 さらに野田が前職の多摩大学長で実践した学生からの教授の授業評価システムや、シラバスと呼ばれる年間講義案の提出等の授業改革をより本格的に推し進めようにも、「公立大学の教員は教育公務員特例法と地方公務員法により二重の特権で保護され、思い描く人事構成はできなかった」。私立大学なら可能な教育改革でも、公立大学という官の中にある大学は、改革の抵抗勢力を守る法律ができ上がっていることを、野田は身をもって知った。

「初めて逢ってヤアと手を挙げた変な先生」が「いつも元気で機嫌よい夫」となった
初孫の真奈と。
「結婚の時、夫を心から可愛がる義父の姿が印象的でした」と妻、敏子
 「やはりこの国は戦前と何ら変わっていない」。野田にとっての「理想の大学」はいまだ完成していない。
 宮城大学名誉学長を自ら辞した後も、野田は仙台に拠点を置き、東京の主要駅前と仙台駅前に創設する「専門職大学院」、アメリカで最も成功したシニアタウン「サンシティ」の日本法人設立、地域経済活性化を狙う「東北独立論」等の大規模プロジェクトを打ち上げる。そして75歳になる現在も、左ハンドルでモスグリーンに光り輝く外車マセラッティを駆って、事務所を置く仙台と東京を4時間で往復する。さらに年間150回近くの講演をこなす。介護論議が賑やかな日本で、彼は圧倒的に「風変わりな万年青年」であり、イレギュラーなジャパニーズそのものだ。
 県立宮城大学のキャンパスを出て、愛車に乗って仙台郊外の住宅街を走りながら、野田はこうつぶやく。
 「東大大学院卒に始まる大学人としての履歴には、僕の人生の実相はまったく反映されていない。僕ほど大学教授になりたくなかった男もいないんだ」
 父親のような技術者になりたかったという「夢」が今も、野田の口を突く。「ただし」と野田は言う。「僕が授業で喋る能力と、若者が好きだという2点が、50年以上僕に教師を続けさせてくれた。その点では後悔していない」
 
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