野田と共に行政改革を進めてきた宮城県知事の浅野史郎は、「野田さんは攻めには強いが守りには弱い部分もある。反対の意見にも寛大であってほしい」と困惑の態だ。だが、当の野田はそれ以前から、県立大学長としての立場に限界を感じてきた。大学の経営責任を負うべき学長が、県下150の地方行政機関の長と同列で、収支改善の権限も与えられない。何より設備者の県に収支という概念すらなかった。
さらに野田が前職の多摩大学長で実践した学生からの教授の授業評価システムや、シラバスと呼ばれる年間講義案の提出等の授業改革をより本格的に推し進めようにも、「公立大学の教員は教育公務員特例法と地方公務員法により二重の特権で保護され、思い描く人事構成はできなかった」。私立大学なら可能な教育改革でも、公立大学という官の中にある大学は、改革の抵抗勢力を守る法律ができ上がっていることを、野田は身をもって知った。 |